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幕末長崎の昼と夜

二月一日~四日 弥太郎は、長崎の事情調査という本来の業務に励む一方、堕落の道へも入り込んで行きます。

一日 「小さな雲さえ拭い去ったような」快晴。浴場に行き、天満宮を参拝した後、「官金帳簿」を精査。午後、砲術家の中島名左衛門が来て、火薬製造工場へ同道。「西洋仕掛けのフレットモウレンという器械を見る」酒楼で中島を接待。日が暮れて帰った後、面倒な議論などなかった一日を「甚だ快適」と振り返っています。

二日 土佐の役人に火薬製造器械に関して報告するための書簡を認めますが、「晩方、飛脚屋に参ったが、誰も留守なり」。机で読書するも「何となく精神不穏」。そこに旅宿の女中(婢)が来たので、起きて酒を飲む……。

 弥太郎は、その後に「たった二杖頭(二百文。六千円くらい?)だが、多少愉快」「一笑」「旅中ならではの情景(況)」「志の墜堕」などと記しています。旅宿の女中は、滞在客(この場合は弥太郎)を相手に「商売」をしていたのでしょうか? だとすると、1月20日に下女に金を「貸し」、翌21日に「昨夜の愚」を嘆いた意味が理解できます。

三日 早起きして帳簿を点検。午後、中沢寅太郞が、また転居するので空き部屋を使ったらと申し出ますが、弥太郎は断ります。その後、阿園家を訪れたものの、落ち合う約束をしていた楊秋平が現れず、一人で竹林亭へ。

 しかし、満員で騒々しいので立ち去ろうとしたところ、まず旧知の浅海琴谷(二宮塾生)ら、続いて下許武兵衛、竹内静渓、阿園らが「陸続」として現れました。隣席では鼓や笛を鳴らして大騒ぎ、「建物は震えんばかり」幕末長崎の夜は、騒がしくも楽しそうです。

 弥太郎は先に出て、天満宮のそばで下許を待ち伏せ「暗中から下許君の袖を引っ張る」その後、二人で丸山をのんびり歩き、さっき別れたばかりの浅海に出遭って互いに大笑い。浅海は疾走して「某屋」に入り、二人は有名店「新築耬」に行きます。

 美女二人(二佳)が現れると「興意勃々」、六曲の屏風にかこまれた各房の灯火がきらめいて、何ともいい雰囲気です。「二人の美女はどちらも二十七歳未満」「着飾った様子が手ですくい取りたくなるほど可愛い」「下許君が先に一人の美人を選んだ。名はみよ春」弥太郎に残されたのは「

 しかし、下許は泥酔、弥太郎は「耿々こうこうとして(心が安まらず)」、二人とも「一場の春の夢」を結ぶことなく、新築耬を出ます。「小雨。寓舎のそばの鶏が鳴く頃に帰り着き、灯した明かりの下で下許君と対座、失笑やまず

四日 早起きして日記をつけたものの、午後は眠気に負けて入眠。この日、弥太郎は静渓、中沢寅太郎、下横目の駒吉らと話をしています。今井純正の件でしょうか? また、二宮如山(敬作)を訪ね、如山翁自身と種々の談話をし、心のこもった扱いだったことを喜んだと記しています。

 二宮敬作(1804年 - 1862年)はシーボルトの弟子の蘭医として知られ、洋学を教える長崎の二宮塾には多くの塾生が集まっていました。敬作の「子供」としてはシーボルトの娘で後に産婦人科医となった「楠本イネ」が有名ですが、逸次(逸二)も有能な父の助手でした。


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