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弥太郎の文に生彩が戻る

一月十四日~十六日 十四日以降、なぜか漢文主体に戻ります。弥太郎をはじめとする人物の日常を綴る文章に生彩があり、魅力的です。

十四日 朝、今井がやって来ますが、話し合いになりませんでした。弥太郎は、中沢に公金会計の規則をたずね、公金簿を二冊作ります。久松善兵衛宅に行くと竹内新八(静渓)がいて談話、酒を振る舞われ夜更けに辞去しました。学課では朝に史記、夜に蘇文十二編。

十五日 「明け方に起床。天気は清く穏やか。淡雪がぼんやり積もっている。東坡の文を読む」朝食後、昨日作成した「御用金」帳簿に下許の「証判」をもらい、預り金の勘定をしました。夕方、久松寛三良(郎)宅に三人で訪れ、交易の話をします。

 弥太郎が、寛三良に「西洋製薬器械」について問うと、久松氏の「臣」で今は(海軍)伝習場で教えている中島某の名を聞かされました。弥太郎は大喜びし、帰りに鰻店に入ろうとしたものの、鰻はないと(七日に続いて)告げられます。「悵恨ちょうこん(嘆き恨み)久しうして帰る」この日も読書、囲碁、句読を行っています。

深夜、人々が大声で呼ばわる(のが聞こえた)。某町で失火。みな驚き戸を開けて覗いた。火炎が夜空を衝く。しかし寓居からは遠いので、衣を解いて就寝。終夜、雨滴が軒を伝い落ちる。郷里の夢を断続して見た。

十六日 終日雨が降り続け、「終日不出家」。蘇文と紀事本末を読み、句読を行った他は一日を楽しく過ごしました。雨に降りこめられた休日の情景を弥太郎は軽快に描きます。六兵衛や中沢と何度も囲碁。互いのヘボさ加減がちょうど良く、勝ったり負けたり。日が暮れた後も明かりをつけて対局。終わると、酒を飲んで盃を酌み交わし、大根屋の「翁」が浄瑠璃をうなるのを、弥太郎が評します。

声や節は可もなく不可もなし、人を動かすに足りない。丹波商人六兵衛が別の一場を歌い出し、みな笑い転げた。中沢は先に寝てしまい、その鼻息が雷鳴のよう。余と下許君は故郷土佐の俗謡を大声で歌い、かつ笑い、いつ眠ったのか覚えがない。目を覚ますと、烏の鳴き声が枕頭に響いた。

「翁」がうなったのは「伊賀八阿種凍寒ノ場」とあり、「伊賀越道中双六」第八岡崎の場のようです。となると、「阿種」は「おたね」と読むつもりで弥太郎は書いていて、これは「阿国おくに」の誤りでしょう。

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