見出し画像

横道世之介に憧れる

あたしはいつも誰かの目を気にしてしまう

相手にそんなつもりは全くないにしても
誰かと一緒に仕事をしている時にはいつも
機嫌をうかがったり、自分のやっていることが間違っていないかを考える

当然、あたしの気持ちに平静なんて訪れない

上手に客観視できるわけもなく
迅速にスマートに考えを表現する用意もなくて
戸惑うばかり

相手と自分の気持ちやタスクが交差している間に
仕事や日常を「平静」を保ちながらこなしていける人が
人間の基準になってしまうのか
本気で怖くなる

間違いを晒し刑のように紹介してくるSNSと断罪を決め込むコメント欄
なにがいいねだよ じゃああなたは聖人潔白なのかよ
こうやって誰かの密かな間違いを傍観していちいち反応しているあたしも
誰かの間違いを踏み台にして社会のふつうになじもうとしているのだろうか

この前まで超人的なエッチなことばかり言っていたインフルエンサーが
コメンテーターとしてふつうっぽいことを言っていた
神妙にしたり顔でふつうに近づこうとしているのだろうか
ここではもう彼はエッチなことを言わないのだろうか

俺たちは生まれる環境も 自分の体も脳みそさえ選べず
いきなり生まれさせられ、人生の責任を押しつけられる。
それで楽しくやれる奴はいいが、ついていけない人間はどうすればいい?

映画『探偵はBARにいる』

あたしにとってふつうのことと誰かにとってふつうのことが合っていないような気がする時
あたしは誰かの機嫌や注意に従うしかできない
変だねとか 動きがおかしいねとか言われても
どこが間違いなのかわからないのだから
楽しくなくても 心がとっても疲れていても
誰かのふつうセンサーを
パソコンを操作する後ろ姿からキャッチするしかない
あたしは誰かの傍観者なのか

横道世之介に憧れる

男気がなくても、動きが変でも、空気が読めなくても、マナーがなってなくても、髪型が変でも
彼の人生はちゃんと彼が主人公で
誰かの心の中に彼がちゃんと存在し
おかしくても間違っていても
それが彼自身で彼と誰かの人生に必要だったのだと感じることができる
それはあたしの人生に『横道世之介』という小説と映画が
必要だったと感じるのと同じで
それがどういうことなのかというと

今の時代にも
ちゃんとどこかに横道世之介がいる世界であってほしいと願う
それだけで幸福感に包まれて
あたしもちゃんと存在できる気がする

それが横道世之介である



この記事が参加している募集

この経験に学べ

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?