見出し画像

卒業文集作成に合理的配慮はないのか

このところ、毎日毎日卒業文集の指導をしています。
 
 

拠点校は、卒業式と同時に卒業アルバムを渡すので、今月半ばには全員の原稿を提出しなくてはいけません。



巡回校は卒業後に渡すのだけど、
中学受験の兼ね合いもあって(1月に全員同時に指導できないので)冬休みに入る前に仕上げることになっています。
 
 

特別支援教室では、通常1人の教員が13人まで担当できることになっていますが、私はそのうち9人が6年生なので、只今毎日毎日卒業文集の作成に付き合うことになっています。

 

 

ADHD(気が散って集中できない)のお子さん、
ASD(自分のこだわり以外のことをするのが苦手)のお子さん
LD(とにかく書くことが苦手。怠けではなく)のお子さん
 
をかき集めて9人ですから、当然時間内に終わるわけがなく、本来空き時間になっている時間も、特別に指導をします。
 

こんなにおとなしく学習してはくれません

 
 
  
クラスの授業で使うワークシートを、授業中に少しは埋められる子🫡、

 
ワークシートを書いてみたものの、題名が決められない、冒頭が決められない、一人では考えられずに、ぼーーーーーっとして終わってしまう子🫥
 
 
一人で書けるけれども、直す箇所がありすぎる子😅
 
 
考えようと努力するけど、結局ワークシートすらかけない子😔
 
 
考えることをすべて放棄してしまう子🫠
 
 
 
いろんな段階の子が、毎日代わる代わる訪れます。
 

がんばれー!

 
 
助言をしたら自力で書ける子もいれば、🫡
 
 
一緒に考えて、「こんな感じ?」と私が文章化してあげて、それを写す子もいる。😌
 
 
それもできず、その子にしゃべったことを私が文章化し、下書きにまとめてあげないといけない子😙


私のヒアリングを拒否して、現実逃避を続け、全く進まない子😵‍💫
 
 
 
様々です。
 
 
 
集中の問題もあるし、気持ちのコントロールの問題もある。
見え方や脳の機能の問題で、書くことが辛い子にとっては、自筆の文集はかわいそうだな…と思います。
 
 
世の中では「合理的配慮」が叫ばれているけれども、どうして六年の担任の先生は、この卒業アルバムに”自筆”で書くことにこだわるんだろう。
活字でもいいじゃない。
だって、先生たちからの原稿は、みなさんガンガン活字を使っているのだから。子供も名前だけ自筆、とかでいいんじゃないの?
 
 
 
私は学年の担任ではないから、頼まれたことにお答えすることしかできないけど、この風潮、変わっていってほしいなぁ。
 
 
 
特性のある子供たちに、23マス×28行の文集を書くのは、かなりしんどいことで、私は例年、書くのが大変そうな児童については、クラスよりも1~2か月早く着手させています。
できるだけ早く下書きを完成させて、何回も小分けにして、できるだけきれいに清書させるためです。

彼らは、すぐに疲れてしまうし、集中も切れてしまうから、早く終わらせたくて3行書くとミミズ文字になってしまうのです…

こんなフリーフォントがあるのですね!?


でも、1時間で2~3行ずつ集中して書かせると、最後までモチベーションを保ってきれいに書けるというわけです。
 
 
 
そういうことも、何度も説明してるのになぁ…



今年の六年生の先生、こちらが「卒業文集、始めていいですか?」と言っても「まだクラスで指導してないから!」と突っぱねられてしまい。
先取り指導が始められませんでした。
子供にしわ寄せ。かわいそう。。。 

 
 
でも、仕方ないですね。
社会は理不尽なものです。
そこに対応してこそ、生きる力となる!
 
 

先生たちも、ゆとりさえあれば、もっと話の分かる人たちなのですが、忙しくて、キリキリしてしまっているのだと思います。
合理的配慮の実現に、働き方改革は必要不可欠なのかもしれない…。
   
   
それに、私も今の学校では発言力がまぁまぁついてきたので、先生たちに「それはかわいそうですよ」とか「そのスケジュールじゃ無理よ」などと、子どもをかばってあげることはできます。 
  
 
めげずに、明日も卒業文集を書かせます!

がんばるぞー✊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?