見出し画像

終わりは始まり

私のヒプノセラピーの師である藤原理恵さんは、このところ「終わり」を意識した発信が多くなっています。
実際なんとなくそのままにしていたサービスを終わらせたり(通信講座や、無料ライブのグループなど)、私生活でも大事なものを一気になくされたり、強制終了が相次いでいるのだとか。
 
 

私も、なんとなく今の資本主義経済が間もなく限界を迎えるんだろうな・・・とか、地球環境の面でも大きな変化を迎えるんじゃないかな・・・などとは感じてます。
 
 

「終わりって何が終わるの??」
と考え、いろいろ思いを巡らせてみる。
 
 

SHOGENさんのアフリカ・ブンジュ村のお話を聞くと、新しい始まりは明るく希望のもてる世界なんだろうな・・・とは思うのだけど、やっぱり何かが終わるというか、先がわからないことはなんとなく怖い。
 

TOLAND VLOG

全ての日本人は見てください


【日本が大きく変わる日】アフリカの長老が明かす〝大変革の日〟が衝撃すぎる。この動画は絶対に見てください。


 

そんな気持ちを心の片隅におきながら(多分潜在意識のかなり上の方)、日常生活を送っているところに、終わりとシンクロする一報が入ってきました。
 
 

入学時から支援している巡回校の小学校3年生の女の子のママからでした。
 
 

電話メモと、間に入って彼女の担任の先生から伝言をもらってきてくれた同僚の話を聞く限り、結構切羽詰まっている印象。私の電話で事態をこじらせてはいけないので、巡回先の管理職と彼女の担任に状況を確認して、整理する。
 
 
どうやら登校を続けることを一度やめ、フリースクールに絞りたいと考えていることが分かりました。そして、学校から荷物を引き払って気持ちの整理をつけたいと申し出た事実も。
 
 
その子は、場面緘黙の女の子で、好きなことと苦手なことがはっきりしていました。

  
1年生の時はやさしく配慮の行き届いた担任のもとで楽しく学校に通えていたけど、2年生になって(悪気はないのだけど)子どもやその背景を見取ることが苦手で、竹を割ったような性格の担任になり、その先生との一つ一つの出来事が重なって学校に行けなくなりました。でも、友達とも決してうまくいっていたわけでもなかった。
 
 
彼女は、ごく一部の心を許した人としか話をすることがなく、週1回2時間をほぼマンツーマンで過ごす私が相手であっても、その日の調子によっては話さない。話したとしても小さな声と、短い言葉で話します。なので、彼女の調子に合わせて、筆談をすることが多くありました。
 
 

 展覧会の作品つくりは・・・ 楽しい ・ 楽しくない
と書くと「楽しい」に〇をつけたり。
 
  
今日の調子は10点中・・・・1・2・3……8・9・10
と書くと「7」に〇をつけたり。
 
 
そんな彼女は、慣れた私でさえも筆談が精いっぱいだったので、一緒に遊ぶ友達が3人、4人・・・と増えていくのが大きな負担でした。いつも彼女は1対1で遊びたいと思っていて、でも相手の友達はみんなと遊びたいと思っていることに悩んでいました。
 
学校には行きたい
友達とも遊びたい

でも心がついていかない…

チックや頭痛、腹痛、発熱などの身体症状と付き合いながらがんばっていました。
 
 

彼女のママは、最初は「甘えだ」と言い、自称昭和の子育てと称して怒鳴りまくっていました。自分でもいつご近所さんに通報されるのか恐いと言っていたけれども、娘が学校にいけなかったり、勉強についていけなかったりすることへの不安の方が強かったと話してくれました。
 

彼女はどんなに怒鳴られても、家にいられることの方が安心で幸せだと話し、学校では私との特別支援教室の時間だけが好きだとよく言っていました。手紙もたくさんくれました。


3年生になって担任が変わり、気分一新して登校できるようになりました。友達にも恵まれて、1学期を通いきることができたけど、突然夏休み明けから学校に通うことが難しくなりました。頑張りすぎたのです。
 
 
ご両親は素晴らしい方で、彼女の心身の様子を見ながら、いろいろなサービスを手あたり次第探しに行ってくれました。教育相談室、クリニック、適応指導教室、放課後デイサービス、絵画教室、フリースクールなど。


そして、昨日の電話。


彼女のママは電話口で泣きながら
「がんばったけどもう限界でした。公立学校への道は断念しました」
とこの世の終わりのように話しました。

 
 

私はフリースクールの話を聞いて、彼女に合ったとてもいい選択だと思ったのですが、それまでの長い間なんとしても学校に適応させようと奮闘し続けてきたママにとっては、まさしく降伏、「終わり」だったのです。
 
 


ママは、
「とうとうドロップアウトしてしまいました」
「もうこれ以上できませんでした」
「娘も、みんなと同じようにできなかった敗北感でいっぱいだと思いますが、こうするしかありませんでした」
と繰り返し、電話口で泣き続けました。
 
 
私は、ママが感じている「終わり」=絶望に共感することができなかったけど、話を聞くことはできました。そして
「絶対大丈夫ですよ」
「〇〇ちゃんにとって絶対に幸せな選択です」
「〇〇ちゃんは幸せな子です」
と繰り返しました。



正直、夕方の歯医者の予約が気になって、
「あと5分で切れるかな。。。。」
と焦っていた私でごめんなさい。


なんとかギリギリまで付き合い、巡回先にも報告してから退勤。
 
 
 
歯医者に向かう電車の中で、そのママが言っていた「公立小学校からドロップアウト」「みんなと同じようになれなかった失望感、喪失感」が頭の中でリフレインしていました。
 
 
私は、これまで世間体やみんな当たり前にやることに縛られ、戦い続けていたそのママのスタートラインとしか思えなかったし、
その子に対して祝福の思いでいっぱいだった。
 
 
絶対に、その子がその子らしくいられるし、
のびのびとやりたいことにチャレンジすることができるから。
(彼女はiPadで絵を描くこと、文章を書くこと、プログラミングが得意)
 
  
私には素晴らしい「始まり」にしか見えない。
 
しかし、そのママ(…きっとその子にも気持ちは伝染してる)にとっては敗戦記念日。
 
 
断腸の思いで、やっとのこと決断をしたからこそ、校長や担任には「この子の荷物をすべて引き上げさせてほしい」と頼んだそうです。
 
 
学校は、「ちゃんと〇〇ちゃんがクラスの一員として存在していることをみんなが忘れないために最低限のものは残してほしい」とお願いしました。防災頭巾くらいかな。
 
 
私の特別支援教室にも、週一回2時間だけ来ても良かった。実際に2年生の時はそうしていたし。
 
 
でも、そのママの決意は強く、「特別支援教室もこれで終わりにします」と仰いました。

「ただ…、〇〇はTomomi先生が大好きだったから。先生との交換ノートができなくなることをものすごく残念がってます」
という言葉を私は捕まえました。
 
 
「ノートくらい、月に1〜2回続けましょう。専門員に届けてくださったら、私もお返事書きます」
 
 
とても喜んでくれてよかったです。続くかどうかは別にどうでもいい。
 
 
そして、3年の付き合いで信頼もしているので、今年度で異動することを暗に伝えました。
私も6年のお勤めが完了するところだったから、今年度の担当児童の8割は卒業生にしていたのです。
 

すると
「なんか普通の先生とは全然違って、いろんな角度からお話をしてくださるから、これからも、私達みたいに困ったり悩んだりする親子の力になって、たくさんの人を励ますお仕事から離れないでください」
 
と言われ。

 
ん?退職すると勘違いされたのかしら?
ま、そこを細かく説明する必要もないので、ありがたくお言葉を受け取らせていただきました。
 
 
 
これも、これから私が何かの「終わり」を迎えて、何かを「始める」前兆なのか。
 
 
そんな風に受け取ることにしました。
 
 
 
社会や地球環境と「終わり」というワードに漠然とした不安を持ち続けていたけど、
「始まり」とは、こんな風に優しく、明るい未来なのかもしれません。
 
 
そんなことを感じた出来事でした。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?