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何のことはない。日本の憲法学がガラパゴス化したのは、敗戦利得者の自己保身から始まった「敗戦利得者憲法学」のままだからである。

何のことはない。日本の憲法学がガラパゴス化したのは、敗戦利得者の自己保身から始まった「敗戦利得者憲法学」のままだからである。
2023年04月09日
以下は今日の産経新聞に、大物東大教授「手のひら返し」の謎、と題して掲載された、元城西大教授杉原誠四郎氏の寄稿論文からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

憲法学の不都合な史実

ウクライナ侵攻や中国の脅威のせいか最近は自衛隊違憲論の憲法学者は息をひそめていたが、防衛費倍増や敵基地攻撃能力(反撃能力)をめぐる議論では再び、憲法第9条を盾に反対する声が高まってきた。
日本は相変わらず9条のくびきから解かれることがない。 
しかし、そもそも憲法が戦争放棄、軍隊の不保持を定めているという認識は、正しいのか。 
9条1項には「国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあるが、条文をよく読めば分かるように、戦争放棄はあくまで「国際紛争を解決する手段としては」という条件付きだ。
「自衛の手段としては」戦争は放棄していないという解釈も、論理として成り立ち得るし、現実に政府の解釈も自衛権行使は認めている。
ただ、これを「戦争」とは呼ばないのである。 
9条2項の軍隊の不保持にしても、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めているのだから、「前項の目的」とは異なる自衛の目的ならば、軍隊は持てるという解釈も、論理・学説としては成り立つ。
というよりは、憲法制定過程をたどれぱ、この解釈にも一定の理があることが分かる。 
実は戦後間もなく、占領軍に憲法草案を押し付けられた政府の原案では、2項に「前項の目的を達するため」の字句はなく、あらゆる条件において、軍隊は持ってはならないと読める条文になっていた。
が、衆議院の修正で「前項の目的を達するため」が挿入された。
この修正は衆議院で憲法を審議した小委員会の委員長であった芦田均の提案で行われたとので、「芦田修正」と呼ばれているが、これを見た米国など戦勝国側の極東委員会は、占領軍を通じ、軍人が大臣にならないように憲法第66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という字句を日本に入れさせた。
新憲法下で軍隊を保持しないなら、軍人もいない、つまり文民以外はいないのだから、本来こんな条文は不要である。
それをわざわざ書き込ませたということは、新憲法を押し付けた側から見ても、9条は自衛のためならば軍隊を保持できるように解釈できたということなのだ。
現在、日本政府はこのような憲法解釈(芦田修正論)はとらず、9条全体から解釈して自衛隊を合憲の存在としているが、それにしても憲法はことほどさように、幅広く多様に解釈することが可能なのである。 
戦争放棄の憲法を持つ国は日本以外にも少なからずあるが、それでも軍隊を持つのは国際的な常識である。
しかし、なぜか日本の憲法学は原理主義的な戦争放棄と軍隊不保持にこだわってきた。
国際政治学者の篠田英郎(ひであき)氏は著書「憲法学の病」(新潮新書)で、これを厳しく批判している。
同書は東京大学法学部の歴代憲法学者の憲法学を「憲法学の病」と呼び、国際常識からかけ離れ「ガラパゴス化」していると批判する。
東大法学部の憲法解釈が席巻している日本の現状では、事実上日本の憲法学を批判する書である。

天皇は「ロボット的存在」

どうして日本の憲法学がガラパゴス化したのか。
私は憲法学者ではないが、日本の近現代史を研究してきたから、理由の一端は分かる。
要するに、戦後間もないころ、東大(当時はまだ東京帝国大学と称した)法学部で憲法学を担当していた宮沢俊義という有名な教授が、自己保身のために占領軍と米国にゴマをすって、押し付け憲法の理念を持ち上げる解釈を広めたのだ。
それがあまりに非現実的な内容だったため、日本の憲法学は世界から取り残されてしまったのである。 
宮沢はいわゆる大物御用学者で、敗戦直後、政府の憲法問題調査会の筆頭委員を務めていたが、そこでは明治憲法を改正するとしても後の日本国憲法のような大幅改正はしないという主張だった。
ところが、昭和21年2月13日、日本政府が占領軍から「マッカーサー草案」と呼ばれる憲法改正案を押し付けられたのを知ると、態度を一変させた。
マッカーサー草案は、天皇について政治権力の余地を徹底的に排除し、元首ではなく「象徴」と明記したほか、戦争放棄と軍隊不保持など、現在の日本国憲法のほぼすべてが盛り込まれていたが、宮沢は立場を利用してこの厳秘の草案を入手すると、その日のうちに、当時の東大総長、南原繁のところに持ち込んだ。
翌日、東大法学部の主要な教授が集められ、学内に「憲法研究委員会」ができると、宮沢は委員長に就任。
マッカーサー草案に基づく憲法改正の旗振り役になったのである。
占領軍を忖度したとしか考えようがないが、それにしても宮沢は、なぜ態度を一変させたのか。
占領軍ににらまれ、公職から追放されることを恐れたのではないかというのが、一連の史料などを丹念に取材したジャーナリストの高尾栄司の著書「ドキュメント皇室典範ー宮沢俊義と高尾亮一」(幻冬舎)の分析である。 
宮沢はその後、新憲法の解釈でも戦後間もない頃の占領軍・米国に忠実な学説を打ち出した。
敗戦で日本に革命が起きたと称して天皇の権威まで否定的に解釈し、「ロボット的存在」とまで表現した。
9条についても、自衛のためにも戦力は持ちえないと解釈。
それは先述した通り、米国の想定をも超える原理主義的なものだったが、その考え方は東大の法学部に根を張り、憲法学全体の主流を占めるに至る。
宮沢が忖度した占領軍・米国の意向は、日本が戦勝国に復讐することのないようにと日本の弱体化を図った占領初期のものだった。
やがて米国は朝鮮戦争など国際情勢の変化で方針を変え、日本に再軍備を求めるまでに変わるのだが、憲法学だけは反戦平和主義の左翼に支持を広げ、日本に根を張り続けたのである。

「敗戦利得者」の9条解釈
学者がどんな学説を唱えるかは、もちろん学問の自由だ。
ただ、宮沢がその転向によって、学者としても大きな果実を得たことは指摘しておきたい。
占領軍の指令で行われていた公職追放を免れただけではない。
当時、公職追放で多くの貴族院議員も地位を失ったのだが、宮沢はその後釜として貴族院議員に選ばれ、新憲法で貴族院が廃止された後も、大物学者として高い地位を保った。
敗戦で多くの国民が塗炭の苦しみを味わう中、逆に敗戦を利用して地位を得た人々は、外務省などを中心に少なからずいたが、宮沢もその一人である。
私は、こうした人々を「敗戦利得者」と呼んでいる。
何のことはない。
日本の憲法学がガラパゴス化したのは、敗戦利得者の自己保身から始まった「敗戦利得者憲法学」のままだからである。 
日本国憲法の制定過程については、これまでの研究でかなり明らかになってきたが、こういう話は意外に国民に知られていない。
日本の憲法学の解釈がずいぶんと偏向していることも安倍内閣時代、集団的自衛権行使の一部容認をめぐる9条解釈議論でかなり有名にはなったが、議論はそこで止まったままだ。
個別の裁判で憲法解釈が問題になることはあるが、政治的な問題として、条文ごとに、どのような解釈が本来正しく、それと違った間違った解釈が横行しているか、議論しようという試みはほぼ皆無である。
5月3日の憲法記念日で日本国憲法施行から76年となるのを機に、改めて、議論を始めるべきではないか。
そうすれば、憲法改正にも必ずや弾みがつくはずである。

すぎはら・せいしろう 昭和16年生まれ。東京大教育学部卒業、同大大学院修士課程修了。修士(教育学)。
城西大、武蔵野女子大(現・武蔵野大)教授などを歴任。
日本の近現代史研究にも取り組み、「新しい歴史教科書をつくる会」会長も務めた。
現在、国際歴史論戦研究所会長。
著書に「法学の基礎理論」(協同出版)、「日米開戦以降の日本外交の研究」(亜紀書房)など。
共著「吉田茂という病」「続・吉田茂という病」(いずれも自由社)では、「敗戦利得者」の存在を指摘した。


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