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抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能…ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判…法廷に自由な言論などあったはずがない

中国が国家主導で展開するプロパガンダ戦略のなかで、731部隊の存在が恣意的に利用されている現状があること
2018年02月28日
以下は月刊誌HANADA今月号に掲載されている「総力特集 NHKの堕落」からである。
読者はNHKに対しての私の批判は正しいものである事を再認識するだろう。
見出し以外の文中強調は私。

NHK「731部隊の真実」に重大疑問
早坂隆(ノンフィクション作家)
731部隊とは何か
昨年の8月13日、「NHKスペシャル 731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」という番組が放送された。
NHKのホームページによれば、「数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る」とのことであったが、番組を見て私が感じたいくつかの疑問点などを以下に示したい。

まずは、731部隊の概略について簡単に触れておこう。 
731部隊とは、大東亜戦争末期に存在した日本の研究機関の一つである。
正式名称は「関東軍防疫給水部本部」という。
この機関の通称号(秘匿名称)が「満州第731部隊」であったことから、戦後に「731部隊」の名で広く定着するようになった。 
部隊があったのは、満州のハルビン郊外の平房という地である。
昭和20年の時点で、同部隊には3000人以上もの人員が所属していた。
規模としては、かなり大きな組織だったと言える。 
彼らの主要な任務は、兵隊の感染症予防や、衛生的な給水体制の確立を研究することであった。
ノモンハン事件の際には、的確な給水支援や衛生指導により、多くの人命を救ったとされる。 
これらの任務と並行して進められていたのが、細菌戦などを意識した生物兵器に関する研究であった。
日本は生物兵器や化学兵器の使用を禁ずるジュネーヴ議定書を批准していなかった。
ただし、同議定書を批准した多くの国々が、秘密裏に様々な兵器の研究を進めていたのも事実である。 
そんな731部隊の実態については戦後、様々な論争が繰り返されてきた。
主な論点となったのは、「人体実験が行われていたのか」「生物兵器を実戦で使用したのか」といった部分である。 
はじめに示しておくが、私は731部隊に関して「人体実験や細菌実験が全くなかった」と断定する者ではない。
しかし同時に、現在の中国側が一方的に主張している内容については、史実を逸脱した側面がかなり含まれていると考えている。
中国が国家主導で展開するプロパガンダ戦略のなかで、731部隊の存在が恣意的に利用されている現状があることは否定しがたい。
ハバロフスク裁判の肉声「昭和史のタブー」とも称される731部隊であるが、この問題について「新資料」からのアプローチを試みたのが同番組である。
では一体、それはどのような内容であったのか。

シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。
2018年02月28日
以下は前章の続きである。 
この番組の骨格をなしているのが、「「バロフスク裁判の音声記録」である。
同裁判における法廷でのやりとりを録音した磁気テープが、モスクワの「ロシア国立音声記録アーカイブ」で新たに発見されたというところから、この番組は始まる。 
731部隊に所属していた人々の多くは、ソ連軍の満州侵攻によって捕虜となり、シベリアに強制連行された。
いわゆる「シベリア抑留」である。 
その後、彼らは通称「ハバロフスク裁判」によって、戦争犯罪人として訴追されることになる。
裁判の期間は1949年12月25日から30日までの6日間。
戦勝国であるソ連が主導した軍事裁判である。
この法廷では、日本のソ連に対する軍事行動が幅広く断罪の対象となったが、そのなかで731部隊も扱われたのであった。 
今回、モスクワで見つかったというこの磁気テープには、731部隊や関東車の幹部であった者たちの証言がたしかに録音されている。
これまで同裁判の詳細は不明な点が多かったから、その内容が判明したという意味において、この発見が貴重なものであることは間違いない。 
音声記録のなかにあったのは、「びらんガスを人体実験に使用した」「乳飲み子のいるロシア人女性を細菌に感染させた」「中国の軍隊に対して細菌武器を使用した」といった肉声の数々であった。 
問題となるのは、その内容をどう解釈するかである。

ソ連による思想教育 
前述したとおり、ハバロフスク裁判が始まったのは1949年の年末であり、被告はすでに4年もの抑留生活を送っていたことになる。 
シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。
抑留者たちの引揚港となった舞鶴港では、港に立つと同時に、「天皇島上陸!」と叫ぶ者たちが少なからずいたとされる。
いわゆる「赤い引揚者」である。
長期にわたる苛酷な思想教育の結果、抑留者のなかには共産主義に染まった者たちが大勢いた。
昭和史の哀しき逸話である。 
抑留生活中には、短期間で共産主義に感化される者もいれば、一日でも早く帰国するため、面従腹背で矯正されたフリをした者も多くいたという。
いずれにせよ、抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能であった。 
ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判であった。
法廷に自由な言論などあったはずがない。
これは極めて重要な歴史的側面である。
この部分を無視、あるいは軽視しては、等身大の史実に近付くことなどできない。
これは、シベリア抑留史に関する研究の常識でもある。 
しかし同番組では、裁判の肉声に以上のような観点が全く加えられないまま話が進められていく。
この稿続く。

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