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そのうえ、戦後民主主義教育で「日本はアジアを植民地にした」、「アジアの人たちに迷惑をかけた」……そんなことばかり刷り込まれている。国家観や日本国がどういうものであるかも知らない人間が、エリートとして政治家になり、官僚になり、マスコミに入っているわけです。

しかし、休んでいる間に、日本のためには言わないといけない、ということに気がついたんだと思います
2022年02月22日

以下は、2022年2月15日に出版された、気鋭の評論家である門田隆将と戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之の対談本からである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
21世紀に生きる知性ある人達の全てが必読。
日本国民で活字が読める人たちは今すぐに最寄りの書店に購読に向かうべし。
世界には、私が出来るだけ知らしめる。

日本を取り戻す
高山 
国民の意識の低さを生んだ戦後というものから、脱却を試みているのが安倍晋三という人だと思う。
安倍晋三は、2002年、官房副長官として時の小泉純一郎総理の北朝鮮訪問にくっついていった。
ジャーナリストの堤堯(つつみぎょう)さんによると、安倍晋三は、北朝鮮側に盗聴されているのを承知で、いろいろと金正日に仕掛けて日本人拉致を白状させたという、とても頭の切れる、回転のいい人だ。
外務省が北朝鮮から連れ戻した拉致被害者は協議通りに一旦返さなければダメだというのを、役所の頭越しに、「返す必要はない」と断固突っぱねた。 そういうことは、北朝鮮を賛美してきた朝日新聞にとっては、ものすごい痛手なわけだ。
帰還事業の名で、朝日新聞は「北朝鮮は地上の楽園だ」と紙面でキャンペーンを張って、昭和30年代から10年以上かけて、トータルで10万人近くを京都の舞鶴から帰還船で送り返した。
不幸なことに、その中に3000人くらい日本人妻がいて、ほとんどが地獄で死んでしまった。
北朝鮮は楽園どころか地獄だ、みたいなことがわかってきたけど、それでも、「楽園だ」とやり続けたのが朝日新聞たった。 
北朝鮮の実態を安倍晋三は思う存分に暴いた。
あの国が拉致国家だというのを、万人に知らせた。 
ただ、逆らう者はどんな相手であれ潰す、というのが朝日新聞だ。 
北朝鮮の拉致問題で、朝日は安倍に焦点をあてた。
いわゆる戦後民主主義を壊すような主張、つまり日本は悪い侵略国家だというところから外れるような主張は、絶対に許さないと言い、安倍を目の敵にした。
第1次安倍政権の時は、ストレスが原因の難病を起こさせて安倍を引退させた。
だけど安倍は2012年に復活する。
門田 
安倍さんの復活は、実はビックリでも、なんでもないんですね。
あの時、清和会からは、会長の町村信孝が出ることが決まっていて、安倍さんは元々、「その次」を狙っていた。
けれども、それこそ「日本はこのままでいいのか」という民生党政権が3年以に続いて、日米関係は戦後髞悪となり、「このままでは日本がもたない」ということで、安倍さんに「立ってくれ」ということになっていった。
主役の一人は金美齢さんや、亡くなった三宅久之さんです。
そういった人たちの担ぎ出しがすごかったんです。 
三宅さんが、安倍さんへの決起文を墨で書きました。
議員会館の安倍さんの部屋までそれを持って行った。
安倍さんが受け取ると、金美齢さんが「今、声に出して読んでください」と言うわけです。
読んでいるうちに、安倍さんの声が震えてきた。
なぜ今、立だなければならないのかを書いた三宅さんの渾身の文章を読んでいるうちに、感情が高ぶり、声が震えてきたわけです。
安倍さんも、これは本当に立たなければいけない、と思ったでしようね。 その時には、もう菅義偉さんたちが、安倍さん担ぎ出しのために相当、動いていましたからね。
しかし、派閥としては会長の町村さんが出ることになっているわけだから、派を割るわけにもいかない。
そう思っていたところに、人気絶頂の維新の橋下徼大阪市長(当時)が「自民党で話が通じるのは安倍さんだけだ」という発言をして、安倍さんが急に見直されることになったんです。
高山 
バブルが弾けた後、低迷がずっと続いて経済は伸び悩み、なおかつ、日本は悪い国だとかいった意見ばかりがいまだにはびこって、という時代だった。2度目の首相になるにあたって、日本記者クラブの主催で怛例の党首会談がめった。
その場で安倍が、朝日新聞の星浩に「慰安婦問題はアナタの朝日新聞が流したフェイクニュースですよ」とやった。
朝日新聞の編集方針といってもいい戦後民主主義に、戦後初めてNGを突きつけた。スゴイことだったと思う。
門田 
新聞記者には、「オレが世論をつくっている」「オレたちが政権をどうとでもできる」という驕りがずっとありますからね。
そういう輩が、永田町を肩で風を切っていた。 
もともと第一次安倍政権の時に、堪忍袋の緒はほとんど切れていたわけです。
朝日の若宮啓文・論説主幹が、あの有名な「安倍の葬式はウチが出す」ということを言っても第1次政権の時は、はっきりとは反撃できなかった。
しかし、休んでいる間に、日本のためには言わないといけない、ということに気がついたんだと思います。
高山 
日本記者クラブの党首会談が2012年の11月。それから1年半が経った2014年に、門田さんと朝日新聞の開で「吉田調書」(福島第一原発の故吉田昌郎元所長に対する政府事故調の聴取記録)をめぐる対立が起きた。
門田 
朝日は8月の5日と6日に過去の慰安婦の記事の訂正の記事を出す。
その翌週から、調書を手に入れた産経新聞のキャンペーンが始まりました。初日に、私は、「なぜ朝日は虚偽を用いてまで日本を貶めるのか」という文章を寄稿しました。顔写真付きの大きな記事でした。
産経は1週間キャンペーンをやりましたが、朝日はそれでも認めなかった。 8月の終わりの週の金曜日に読売も調書を入手し、その後で共同通信も入手し、配信した。
これで完全に「朝日VS他の全マスコミ」という図式になりました。
9月11日には朝日の木村伊量社長が全面謝罪して、記事を撒回しましたね。そこからはもう朝日新聞の部数減は止まらないです。
高山 
すべてはやっぱり、安倍のひと言から始まった。
戦後民主主義脱却の大きな旗になった。
これでうまくいくかなと思っていたら、今度は、安倍長期政権に対して朝日は森友・加計学園を持ち出してきた。
門田 
森友学園という教育勅語をそらんじさせるような幼稚園がくることが許せないということで、共産党の豊中市議と無所属の市議がキャンペーンを始めたのです。それに朝日が乗ったわけです。                                予算委員会が始まって、佐川宣寿理財局長が答弁まちがいをして、それを隠すために改竄をやらせたことがすべて。
改竄前の元の文書には安倍のアの字もなかったわけです。
しかし、野党は財務省の役人を吊るし上げます。
近畿財務局の職員が亡くなる前の日にも、財務省に民進党の衫尾秀哉氏と小西洋之氏が乗り込みました。
その前の日には、当の近畿財務局に、福島瑞穂氏、森裕子氏以下、何人もが乗り込んでいた。
どんどん追い込まれていって当該の職員は自殺するんだけど、このいきさつをメディアはひと言も言わない。
高山 
赤木文書公開なんて言っているけど、何も問題ない。
値引きはしていないと当の赤木が言っている。
疑惑すらないことがわかっても、「いや、真相はまだ明らかにされていない」とかやる。安倍については疑惑と言っていればいいと思っている。
門田 
私のような昭和30年代に生まれ、高度経済成長で日本が右肩上がりの時代に生きてきた人間は、やはり、明治生まれの人、大正生まれの人、昭和1ケタの人のような苦労をしてないわけです。
戦争で突撃、突撃を繰り返してきた人たちとは、明らかに違う。
そのうえ、戦後民主主義教育で「日本はアジアを植民地にした」、「アジアの人たちに迷惑をかけた」……そんなことばかり刷り込まれている。
国家観や日本国がどういうものであるかも知らない人間が、エリートとして政治家になり、官僚になり、マスコミに入っているわけです。

 

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