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竹山の母方は神道家の出です…これができたとき、竹山夫妻と私と妻の四人で京都を巡りました。二日間、お寺を回って、最後に行ったのが下鴨神社でした。

日本の神道も悪いものではない
2022年01月04日
以下は前章の続きである。
平川 
当時、神道について公の場で話すのはタブーでした。
竹山の母方は神道家の出です。

『竹山道雄著作集』(福武書‘店)8巻本が、竹山先生の亡くなる前年の昭和58年に出て、私も手伝いました。
これができたとき、竹山夫妻と私と妻の四人で京都を巡りました。
二日間、お寺を回って、最後に行ったのが下鴨神社でした。
*この個所でも、私は慟哭を覚えた。*
私が「神社はほっとしますねえ」と言ったら、竹山先生も 「ほっとするねえ」と応じたことが思い出されます。
その年、佐伯彰一先生が東大を定年退官するとき「自分は富山の神道の家の出だ」と”信仰告白”した。
彼は25年にガリオア奨学金でいち早く渡米しました。
当時、米国入国の文書に「宗教」の記入欄があって、「神道と書いたら入国が許可されないのではないか」と考えたそうです。
仏教と書くわけにもいかなで、思い切って神道と書いたのだと。
その気持ちは、私にはよく分かります。
当時は神道はそれほど悪者扱いされていた。

私の家は空襲で焼け残り、米軍に接収されました。和風建築で檜の廊下があり、米国人はそこにペンキを塗るという。
そのときに嫌だなあと思いました。白木というのは神道的な美しさですね。そうした審美感覚が、われわれ日本人の中には伝わっています。
タイやスリランカ、中国、韓国のお寺は派手な色に塗られています。
ただ、考えてみると、日本でも奈良時代は「あをによし」というように青丹の色が濃く塗られていたんですね。
日本人が好きなお寺は山寺の神さびたお寺でしょう。
しかし神さびたということは神道化したということです。

そういう審美感覚はわれわれの中に長く残るものと思います。 
明治天皇の和歌を読みますと、神道の気分がよく出ています。
明治神宮には、月ごとに明治天皇の御製が掲げられており、参拝のたび、すばらしくて感心しています。
おおらかで、王者の風の歌でいいなあと思います。 
今泉 
先生は、神道の詩的表現が明治天皇の御製に表れているとよくおっしゃいますね。

「清らか」が衛生観念に 
平川 
神道が何かは倫理的に述べるより、歌の方が分かりやすい。
私は小学生のころ教科書で明治天皇のお歌を習いました。
明治の最大の男の歌人は睦仁陛下、女の歌人は与謝野晶子。
天皇は10万首、晶子は5万首の歌を詠みました。
神道は清らかさを尊びます。
前中国大使夫人の汪婉さんに「日本の印象は」と尋ねたら「清潔」でした。
今も日本の女性は旅行をすると「台湾のほうが大陸よりお手洗いがきれい」と言いますね。
この清潔、そして衛生は日本人が台湾にもたらした遺産です。
「清らかさ」は神道の審美観ですが、生活習慣の中に神道が浸透しているから身の回りをきれいにする。
その神道由来の衛生観念が根付いたのだろうと思います。    
今泉
「浄、明、正、直」といいますが、浄く明るくということですね。
平川
清らかということは、凛とした精神の美でもあるわけです。
論語などでも、神道の美学に合ったような言葉が、日本人は好きなんですね。
今泉
先ほど、佐伯先生たちが戦後の“閉ざされた言語空間”で神道についてなかなか言い出せなかったというお話がありました。
平川先生が活字で神道に触れた時期は非常に早いですよね。
昭和36年に『ルネサンスの詩』で「神道的感覚の人間にはロマネスクの彫刻が趣味に合う」と。
これが、平川先生の修士論文ですね。
平川 
西洋に行って、普通の日本人ならキリストが血を流してい石像を見ると、違和感を覚えるのではないでしょうか。
そう言うと信者の方から反論かあるかもしれませんが…。
私はイタリアの古都、アッシジも訪ねました。
アッシジの十字架のキリストは目を開けているんですよ。
そして血を流していない。
だからいいなあと。

日本人である自分の感覚は神道的なのだと思いました。
それを(修士論文で)記したのが、神道について触れた最初です。 
アッシジは空が青い上に、石や土が白いから、聖フランチェスコ大聖堂やサンダミアーノ修道院など建物も白く、まことに明るい感じがする。
聖フランチェスコの「創造賛歌」も神道的な生きとし生けるものへのアニミズムの讃歌とほぼ同じです。
神様、あなたはお日様、お月様、お星様のため、風、水、火、大地のために讃えられてあれ、というのですから。
アニマとは霊で富士を霊峰、言葉にも魂を感じるのが神道です。 

英語でも発信しなければ 
今泉 
私は20年前に明治神宮に奉職して、平川先生に最初に講演していただいたのが平成14年。
「森、水、海」という3つのテーマで神々と森と人の営みを考える、シンポジウムでした。
先生の演題は「外国人が見た神々と森の国」。
それ以降、22年の鎮座90年記念国際シンポジウムでは、彬子(あきこ)女王殿下と登壇いただいたり、折々に執筆もお願いしています。
平川 
いや、今泉さんにおだてられて…(笑い)。 
今泉 
とんでもない。
その後、『What is Shinto?―神道とは何か』(錦正社)も編まれましたね。 
平川 
牧野陽子さんと2人で日本語と英語の両方で書いたら、売れているようで驚いています。 
今泉 
ラフカディオ・ハーンが見た神の国、神道ということで、お2人に国際シンポジウムでお話しいただきました。
でも…。
 
平川 
アイルランド大使館の後援で、日本語の講演を同時通訳してもらったのですが、後で英訳を見たらひどいものでした。
同時通訳の限界ですが、このままでは「日本人の教授たちは何をバカなことを言っているのか」と、来場した各国大使たちに思われかねないので、2人で英文を書き直して書籍にした次第です。
新型コロナウイルス禍で在宅で過ごす間に、ラフカディオ・ハーンに関して「Ghostly Japan as Seen by Lafcadio Hearn」を英語で書きました。
今年刊行予定で、ある外国の方が推薦文を書いて「平川はユダヤ人のような日本人で、英語でもフランス語でも立派な論文を書く。勉誠出版が平川の外国語の著作も刊行してくれるのは誠にうれしい」と。
日本の出版社は「著作集といえば日本語」と決めがちですが、英語のものも出版してくれることになり、うれしく思っています。

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