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瞬時に、一瞥にして、一読にして、真髄を見抜いてくれた、知ってくれた、貴方に、貴女に、心の底から贈る。

https://youtu.be/JRHTXFIKfFs?si=o29NF37uA1yrAoU4

ラヴィ・シャンカールの娘である(これがまた素晴らしい)ノラ・ジョーンズは…。
2012年09月09日

テキサス・レンジャース。
ラヴィ・シャンカールの娘である(これがまた素晴らしい)ノラ・ジョーンズは、ニューヨーク育ちとばかり思っていたのだが、生れはNY、育ちはテキサスっだことを、昨夜のNHK・TV、「SONGS]は伝えていた。

以下はウィキペディアから。 黒字化は私。
デビューまで
父はインド人のシタール奏者、ラヴィ・シャンカール。
ニューヨークに生まれたが、すでに母親スーは離婚していた。
4歳の頃、テキサス州ダラス近郊のグレープヴァインに移り住み、それ以来膨大なLPレコードを持つ母の強い影響を受ける。
以下、続く。
*黒字強調の部分は、全くの初見で、私も驚いた。

5歳のとき教会の合唱団に所属。
7歳の頃よりピアノのレッスンを始め、中学生の頃にはアルト・サックスを吹くこともあった。
*私も、中学生の時にはアルト・サックスを吹いていた…何にも関係はないけれど。*
「ママが8枚組ビリー・ホリデイのアルバムを持っていて、アルバムの中から、好きで何度もなんども弾いた曲の入ったディスクを取り出したの。
『ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド』("You go to my head")が大好きだった」と語った言葉は有名となり、あちこちに引用されている。

ビル・エヴァンスからも、この頃に影響を受けている。
15歳の頃、郊外のグレープヴァインからダラス中心街に移り住み、ダラスのブッカー・T・ワシントン高校でパフォーミングとヴィジュアル・アートを履修。
16歳の誕生日に地元のコーヒーハウスで初のギグを行い、ビリー・ホリデイの持ち歌『アイル・ビー・シーイング・ユー(“I'll be seeing you”)』をエタ・ジェイムズのイメージで歌う。
1996年、高校在学中にダウンビート学生音楽賞(Down Beat Student Music Awards)の「最優秀ジャズヴォーカリスト賞(Best Vocalist)」、「最優秀オリジナル作曲賞(Best Original Composition)」を獲得し、翌1997年にも同音楽賞で「最優秀ジャズヴォーカリスト賞」を受賞する。

高校卒業後、北テキサス大学でジャズ・ピアノを専攻。
また、ラズロ(Laszlo)という名のバンドで、本人いうところの「ダークで、ジャジーなロック("dark, jazzy rock")」の曲を歌っていた。
大学3年生の夏、友人に誘われニューヨークのマンハッタンに旅行。
「音楽がわたしを引き留めたの。音楽業界はあまりにも巨大でとても刺激的。特に『ザ・リヴィング・ルーム』(The Living Room)みたいなところで凄いソングライターの曲を聴くのは楽しかったから、あらゆるものが私の能力を広げてくれるように思えて、帰る気にはなれなかったの」
と後に語ったように、1か月の予定で旅行に出たまま、大学へは戻らずウエイトレスの仕事をしながらマンハッタンで出会ったソングライターたちに刺激を受け、自分の曲を作り始める。

1999年12月頃より1年ほどはファンク・フュージョンのバンド、ワックス・ポエティック(Wax Poetic)と共演する常連になった。
まもなく、ソングライターのジェシー・ハリス(Jesse Harris)、ベースのリー・アレグザンダー(Lee Alexander)、ドラムスのドン・ライザー(Dan Rieser)とバンドを結成、ノラはヴォーカルとピアノを担当した。

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