1.私が生まれてからのこと

私のこと
 最近、自分を振り返る事が多くなってきた。
私が生きてきた歴史の中で、お世話になった人たちや助けてくださった方々、迷惑をかけちゃった人達に、今恩返ししないでいつするの⁇…という思いが強くなってきた。
それは直接本人に返せなくても、今までしてもらったのと同じことを、誰かにすればいい。
今一度、今までの過去を振り返りたくて、このno+tに書いていくことにした。
書きながら、驚くくらいに次々と思い出してくる。
この記憶力が勉強に生かされていたら…違う人生を歩んでいたかもしれない、と思うくらい、いろいろなことが蘇る。
(このno+tを教えてくださったTさんに感謝します🙇‍♀️)

 1966年1月11日17:30 東京都田無市(現西東京市)で生まれた。
その日はどんより曇り空でとても寒い日だったと、母が話してくれたことがあった。
最初は田無のS病院(現在は総合病院。以前は産婦人科病院だった)に通っていたが、あまりにも不親切なので個人の産婦人科で私を産んだと話していたことがあった。
母は42歳、父は50歳
今では珍しくないが、当時は大変だったと思う。
母は昔、高校の家庭科の教師、私が生まれた頃は着物を仕立てる内職をしていた。
私は滅多に褒められた記憶が3回しかありません。
『家の手伝いはいいから、あなたは勉強しなさい』
それが口癖。
叩かれたり蹴られたりは日常茶飯事で、あれは小学校3年生の時、上から敷布団を乗せられて息ができなくなった。私は死ぬのかなと一瞬思った。
今考えれば、虐待の分類に入っていたのかもしれないけれど、母の機嫌が悪かったり、そして叩かれたりするのは、私が悪いからだとずっと思っていた。だから母を恨んだりした事はない。
いつも夜眠れなくて、幼稚園の頃は、天井を見上げながら深呼吸をして、息をずーっといつまでも吐いていったら、このまま息が止まって死ぬのかなと思っていた。

こういう事が、後に出産して影響があるとは、その時は全く思っていなかった。

父は、そりゃ怒ると怖いけど、いつもどこかに連れて行ってくれて、楽しい思い出しかない。
遊園地や海、あちこち連れて行ってくれた。
カメラマンでもあった父は、私の写真をたくさん撮ってくれた。
だから、アルバムが…たくさんあり過ぎて…天蓋いっぱいになっている。

ある日、父と一緒に父が勤めている会社に行った。
『用事を済ませてくるからここで待ってるんだよ』
冒険したつもりはなかったけど、ビルの階段を上がったり下がったり…ふと気づくと…
自分はどこにいるんだけっけ⁇
ここどこ⁇ まずい‼︎ 迷子になったかも、わたし‼︎
慌てて外に出て、どこを走ったのか、交番があった。
迷子になったことを伝え、名前と住所と電話番号を聞かれたけど、住所は番地だけ、電話番号は最後の4桁だけしか覚えておらず、それを伝えた。両親の名前だけでも覚えててよかった!
困った顔の2人のおまわりさん。
年配の方が『それだけでもおうちを探せるよ。よく覚えてたね。』
と頭を撫でてくれた。

警察ってすごいです。それだけで家に連絡がいったので、迷子Timeもそんなに長くはなかった。
まぁ、年少さんの頃の話、『よくできました💮』と、褒めてあげたい…なのに、父と私は、母にこっぴどく叱られた。

家は長屋みたいな作りで、お隣さんの山本さんとは廊下でつながり、おトイレは共同。
お風呂はないので、近くの銭湯に行っていた。
父と行くのがとても楽しくて、お風呂から上がると三ツ矢サイダーを飲ませてくれた。
『ママには内緒だよ』
その一言が、私の心をワクワクさせた。
田無駅から近い、そのお風呂屋さんは今もまだあるらしい。当時は15円。

そんな父が、いつの日からか…気づいたら家にいなくなってた。単身赴任で年に一度くらいしか帰ってこない。
父に会いたくなって、夏休み父の居る宇都宮に遊びに行ったこともあった。
宇都宮なんて、外国じゃあるまいし、帰ってこようと思ったら、いつでも帰れる距離。
その理由は大人になってから知った。
父と母は、私のために離婚をせず、別居という形をとっていた。

続く.......🌙




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