市民ミュージカルに出演して学んだこと

今日は2023年12月31日。

一粒万倍日と大安が重なっている大吉日です。そのような日に誕生日を迎えた自分は謙遜なしになかなか持ってるなぁ、と思っております笑笑

さて、前置きはこのぐらいにして、今回も結論から書きます。


市民ミュージカルでの学びや気づき

①芝居とは日常生活の延長である。

②舞台での演技を磨くためには日常生活を大切に生きる、ということが重要。

③歌が大得意だと思っていたのに下手だった。

④音程はあっているが、合唱では声がどうしても浮く。

④裏声で歌っているつもりが地声だった。

⑤ダンス
軸が整ってないと回れない。
体幹と足底筋の強さも必要。

⑥ミュージカルで必要な要素として芝居、歌、ダンスがあるが、歌が1番得意と思っていたのに、実は芝居が1番得意だった。

⑦不満は出来る限り、その都度言っておくことが大切

⑧日本の芸能界の衰退の理由の一つは権威主義によるものである。

⑨どんな組織も経過を大切にし、結果を出すのはトップ次第。

⑩観にきてくださる人がいるということは本当にしあわせなこと。

以上です。
以下、主に⑦⑧⑨に関して述べていきますね。

物心がついてからずっと歌うことが大好きなので、大きな舞台で憧れの作曲家の大先生の曲が歌える、というのが市民ミュージカルに応募した動機です。

ダンスができないので、あまりそれを求められないサブキャスト志望にして、歌と芝居のオーディション動画を送りました。結構がんばって動画を作成したのに、なんと全員合格です。

初顔合わせが始まる前に事務局から送られてきたレターでの
「稽古での様子を見て役を選抜していく」
 「役に選ばれなければコーラス要員で」
というアナウンスに

「え?何のためにオーディション動画をつくって、志望の動機まで書いたんじゃ。」

と始まる前からモヤモヤした気持ちでおりました。

「それだったら、もう辞退しようかな」
「いやいや、やってみないことにはわからん」

という気持ちが交互に湧き上がってきて、参加するのかどうかを悩みました。
これまでの人生での経験より、個人的には行政が行うことの9割ぐらいは正直あまり好みでありません。しかもコーラスは鑑賞は大好きだけど、自分は向いていない、むしろやりたくなかったのです。
しかし、
「やってみないことにはわからん」
ということで結局参加することに。

この最初の不満をそのときに言っておけばよかったです。それをしていてもしなくても同じだったのかもしれませんが、それ以降もリーダーである演出家兼プロデューサーに騙し討ちにあってるかのようなことが(主観です)何回もありました。

「市民をなめてるのか?」

と何回も思いましたが、嫌なことはその都度言っておくことの大切さを知りました。
その演出家兼プロデューサーはとても素敵な方でやさしいところもたくさんありましたので、よけいに困惑しました。
なおかつ、憎めないところもあり、ついつい
「みんなを纏めるにはそれらは仕方がないことと、100パーセントの組織なんてどこにもない。」
と自分に言い聞かせておりましたが、いよいよそれもダメになってきて胃炎の毎日でございました。こちらの言うことは聞き入れてもらえないにしても、そのときにハッキリ言っておかないとダメですね。

しかし、演出家よりもなによりも怖かったのが、前回の記事にも書きましたが、このカンパニーのほとんどのメンバーがそんな演出家のいうことがすべて、とばかりになっていたということでした。権威主義ですね、恐ろしい...

どんどんしんどくなってきて、もう役に選ばれなくてもいいや、むしろ大好きな憧れの作曲家の大先生の曲が歌えるんだから、コーラスがいいや、そして、だれが演出家のあなたに忖度するか、と思って、

「役は諦めます。コーラスがいいです。
作曲家の大先生の曲を歌うことに集中したいです。」

と自ら演出家に申し出ました。
(そのときは歌こそ自信があったのですが、歌が実は一番やばかったのに、よくそんなことが言えたものです...)

あれだけ、役が欲しくてオーディション動画をがんばって作ったのに、のっけから全員合格という空振りにあい、稽古が始まってからの数ヶ月間、役に選ばれるために必死になって励んできたのに、演出家が配役を餌にカンパニーのみんなを釣ろうとしているように見えたのが(主観です)そのときは許せなかったのです。

これが覚悟を決めてプロでやっていく、となったらなにがなんでも役に選ばれることを最優先に考えたのでしょうが、一般市民としてはいいなりになるほうが嫌でした。そして、余談ですが、そこで日本の芸能界の衰退を少し垣間見たような気がします。(これもあくまで主観ですが)

そうはいっても、自分で言うのも何ですが、わりと芝居ができたせいなのか、いい役をもらえました。それはこちらの実力がどうこういうよりは、むしろ演出家の先生が反抗的とも捉えられるわたしの態度とは関係なく作品の出来を重んじていたからだと思います。

くわえて演出家の先生は大所帯なのに配役がとても少ないなか、どうすればみんながセリフはなくても舞台に出られるかどうか、作品が楽しくなるか、ということを最優先で考えて、そして実践してくださったので、今では感謝しかありません。
苦楽をともにしてきたカンパニーのみなさんも大好きです。


話はかわりますが、舞台に立って見えてきたのは日常生活の大切さです。

セリフをどういう気持ちを込めていうのか、どういう表情と体の動きで気持ちを表現するのか、ということはなにも舞台の上でだけでのことではないことに気づきました。

日常生活をさらに芸術的にしたものが芝居、歌、ダンスであり、舞台で自分の表現が人に伝わるようにするには、何回も書きますが、普段の自分の感情が大切だなということを痛感しております。

一方でハッキリさせて良かったこともあります。それはダンスとコーラスには興味が一ミリもないことを知ったことです。

でも声だけは出るので、わたくし声量バカは技術を学ぶためにこれから声楽を始めます。
歌うことは三度の飯より好きですし、声量と肺活量だけはあるので、今は歌が下手でもそのうちどうにかなるだろうと、とても楽観的に考えております。
何にでも興味が湧いてはすぐに飽きるのですが、自己流ではありますが、歌うことだけはずっと続けてきたので、それ一本に絞る覚悟が決まりました。

そして、このカンパニーで得た仲間や経験は一生の宝です。

それに観にきてくださった人がおもしろかった、楽しかった、と言ってくださったのがとてもうれしかったです。
お客様に楽しんでもらえるように辛いことがあっても、良い作品作りにはなにができるんだろう、と考えて実践することにより、本番まで踏ん張ってくることができました。
芸術の一番のすばらしさとはそこにある、と個人的には思っております。

これから、歌うことでそれをやっていくためにまずは今やれることをやっていきます。

2023.12.31(日)
   大安、一粒万倍日、誕生日の決意表明


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