推しの有り難みを痛感した話

一週間ほど前の話。



久し振りに、人前で悔し泣きしそうになった。


決して誰かに何か理不尽な事をされたとか言われたとかいう訳ではなく、その瞬間に出せる全てを出した結果の準備不足と力不足が原因なので、文句を言う筋合いはこれっぽっちも無い。

ただ困った事に、豆腐メンタルのくせしてプライドだけは高く、そもそも涙腺もどちらかと言うと弱めなワタクシ。
おまけにその前日がめちゃくちゃ忙しかったので、特に気疲れが抜け切らずに残っていて余裕の無い状態だったんだろうな…と今では思える。


でも”その時”は冷静な分析なんて出来ないじゃない。
(何となく韻を踏んだ気がする)


己の不甲斐なさと恥ずかしさが「ぶわぁーーー」と襲って来た刹那、喉と鼻の奥にツンとする感覚。

『あ、ヤバい』と意識するより早く少しだけ息を止めて何とか堪えたお陰で涙目になるのも防げたけど、そうすると一瞬外に出かけた薄暗い気持ちが却って自分の中に広がる訳で。
その場はどうにか気持ちを切り替えて抑え込んだものの、一人になった帰り道、奴らはするりと抜け出して存在感をアピールしてくる。

悪いけどお呼びじゃないんだよーと思いながら、どうにかして違う事を考える。
時間の経過と公共の場なのが幸いしてか涙こそ出て来ないものの、気付いたら『あーーーー……(後悔の念)』に席巻される頭の中。

同じこと何回くり返すんよー
成長してないなー
もうえぇ年した大人やろー
さっさと反省して切り替えろよー

受け取り手次第で(時に手荒い)励ましにも、傷口に塗り込まれる塩にもなり得る言葉たち。
自分に向けて放って自分を傷つけてりゃ世話ないなぁと冷めた部分もありながら、結局家に着くまで、いくらでも膨張し続ける負のオーラを背負っていた。






帰宅して諸々を済ませて一息つき、ふと前日の局番を観ていない事を思い出した。
そうや、昨日忙しくて疲れて観る余裕無かったんやった…と思いながらスマホを手に取る。

YouTubeを起動。
局番をタップ。
その時の動画がこちら。

普段より沈んだ気持ちのまま観始めたけど、けも藪史上初、タイトルコールで何かにツボる三島殿につられて笑ってしまった。

その後もずっと、いつも通りの局番らしいけも藪。
なーんにも考えず、ただただ笑っていられる時間。

ナンヨウハギならぬ”ナンジョウフクラハギ”。
めちゃくちゃ良いタイミングでマンボウが釣れて、南條殿に向かって凄く良い笑顔で「もうええかぁ」と仰る三島殿。



沈んでた気持ちが消えていくのが手に取るように分かったのは初めての感覚だった。




そうか。
これが”推し”なのか。





辛い時や嫌な事があった時、すゑひろがりずのお二人にはこれまで何度も前を向かせていただいて来たけど、この時はお二人の存在が心の底から本当に有り難かった。
大袈裟かもしれないけど、自分の中に”推し”が存在する意義の一つを本当の意味で理解できた気がした。


なるほど。


これだから辞められないんだな。


自分の反省すべきとこ。
推しの存在の有り難さ。

色んな気付きを得た日の話でした。
余談ですが、今はすっかり元気です。
では!

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