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本当の人生の勝者

世の中では勝ち組だとか負け組というような言葉が流行っているようですが、私からしたらとてもナンセンスな話で、人生に勝ち負けなど無いと考えています。

そもそも勝つか負けるかという判断は同じ土俵で同じ目的である相手がいるからこそ成り立つものですし、更に言えば比較をする意識があるからこその思考だと思っています。

各々の人生は百人百様で、厳密に言えば一人として同一の人生を歩んでいる人などいません。同じでなければ同じ土俵ではありませんから勝負とは言えません。そして比べる意味がありません。ですから世の中において勝ち負けなどといった勝負という範疇は存在しないと私は考えています。

しかしながら私たちは、優位でいたいと思う生き物のようです。それは今よりも良い人生や幸せでありたいから起きるものだとは思いますが、だからと言って仮想敵を作って理屈に合わないナンセンスな勝負をして優位性を感じても意味が無いと思うのです。

人生の中でそんな勝負に勝つために身を削っていると考えますと、そんな人生が馬鹿馬鹿しいと思えませんか。身を削るということは自分の持つ資源を消費しているのです。資源とは主に時間や自由度や自分の考えのことです。

他人に勝って自己満足を得るために自由に使える自分の資源がなくなってしまったら、そこに何の意味があるのでしょうか。自分の思うがままに自分の資源を使えることが人生では一番大切な事でもあり、それこそが幸せな人生だと思います。

自分が遊んでいたければ、遊んでいられれば一番良いと思います。家族や友人などと好きなだけ一緒に時間を送りたいならそれができれば一番良いと思います。そういう選択ができる自由度はナンセンスな勝負をしている人には、それが出来る資源を消費してしまって持ち合わせていないと思うのです。

比較もできないし比較の対象でもない他人に勝ち負けを意識するのは馬鹿馬鹿しいのです。そこに自分の大切な資源を消費するのはもっと馬鹿馬鹿しいことです。現代における勝者のシンボルであるお金や地位や名誉にしても、比較媒体でしかありません。そのために自分の資源を消費していることに気づきましょう。

人生に勝ち負けなど無いと冒頭に言いましたが、もし勝ち負けをつけるのなら、ユニバーサルな資源を持っている人やその資源を有効活用している人が勝者と言えるのではないでしょうか。先ほども少し触れましたが、人間の持つユニバーサルな資源とは時間や自分独自の思想や束縛のない自由などを意味します。

自分の資源を有り余るほどに持ち合わせていれば、自分の人生を自分の思う通りにコントロールすることが出来ます。そこに本当の幸せがあるように思います。自分の資源を消費して人と比べて勝負を意識して勝つことばかりを考えて生きる人生を捨てませんか。もっと自分の持つ資源に目を向けてそれを有効活用するところに意識を置いた人生にシフトしても良いように私は思っています。

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