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青い砂時計

「この間、押入れの片づけをしていたんですよ。

 そしたら、見覚えのない箱が出てきて、知っている人が誰も写っていない集合写真とか、遊んだ記憶のないゲームとか、あまり可愛くないぬいぐるみなんかが入っていたんです。

 これなんだろうと思って、私は姉に電話をしてみました。姉は他県に嫁いでいるんですけど、住んでるアパートが狭いからって、たまに実家の押入れに物を置きにくることがあるんです。

  残念ながら姉は留守でした。とりあえず私は箱の中身をひとつひとつ、取り出してみることにしました。ほとんどは興味を持てないものばかりだったんですが、砂時計が入っているのを見つけたときだけは、懐かしい気持ちになりました。子供のころ、よく砂時計の砂が落ちるのをながめてたんですよね。
  それは、小さな木枠の砂時計で、すぼまった形の硝子のなかには青い砂がつまっていました。砂が下に落ち切った状態で箱の隅に立ててあったので、私、机の上に乗せてひっくり返してみたんけど。
  
 砂がかたまっているのか全然落ちてこない。これじゃあ時が刻めないじゃんと思って、こんこんと机に叩きつけてみたり、硝子を指ではじいてみても砂は落ちない。
 
 そのときふと、壁にかけられた時計を見ました。ふつうの、アナログのやつです。無意識に時間について考えていたのかなあ。三時二十九分で、止まってました。でも、その時計は昨日電池を変えたばかりだったんですよ。
  壊れたのかなあ、と思いながら寝室の時計を見にいくと、驚いたことにそれも止まってました。私はちょっと気味悪くなってきて、家中の時計を確認しました。腕時計、目覚まし時計、デジタル時計、すべての時計が三時二十九分で止まっていました。
 
 ありえないですよね。
 うちだけ磁場とかそういうのが狂っちゃったのかと思いましたよ。でもすぐに、あの砂時計のせいだと思いました。だって、あれを引っ繰り返してから時が止まったんですから。
  私は砂時計をひっつかんで庭に出ると、庭石に向かって思いきり叩きつけました。ぱあーんって派手な音がして、突風が吹いてきて青い砂が空中に舞い上がりました。目の前が真っ青。きれいというか、おそろいしというかなんとも言えない気持ちになりましたね。家に逃げ込むと、砂は風に巻かれてだんだんと薄くなって、すっかり見えなくなり、風もやみました。

 その間、たぶん三分くらいのことだと思います。最初に私が砂時計をひっくり返してから。ふたたび家中の時計を確認すると、みんなきちんと動いていました。私は残骸をきれいに片づけて、袋を二重にして捨てました。
 以上です。ちなみにその日、私の住んでいた地方で突風が吹いたという記録はありません」

  っていう作り話を思いついて、ネットに書きこんだ。
『あなたが体験した不思議な話』という題名の掲示板だった。
 反応は薄かった。
 レスポンスがみっつ、釣りだろっていうのと、不思議な話ですね、もしもその砂時計をそのままにしてたらどうなったんでしょうかというマジレスと、なんか気持ち悪いナンパみたいなの。
 
 私は不思議ですね、って書いてくれたハンドルネーム「数えられない羊さん」に返事を書いた。

「すっごい怖かったです。よく、映画とかだと時間が止まっている間に好きなことをしたりするけど、とてもそんな余裕はなくて、とにかく元に戻したい、動き出して欲しいってことしか考えられませんでした。あの風はなんだったんだろうって、今でも考えるんです。あの砂はどこに運ばれたのかとか」

 数分後、レスがついた。

「お姉さんには聞いてみたんですか?その箱のこと。知らない人ばかりの集合写真とか怖いですよね。そこにお姉さんは写っていなかったんですよね。
  時が止まっている間、外の様子はどうでしたか?人は歩いていましたか?車や、電車は?大気のことはよくわかりませんが、すべてが止まったら息もできなくなる気がします」
 
 私はパソコンデスクの回転椅子にのけぞるように背中をもたせかけ、溜息をついた。
  おい、「数えられない羊」さんよ。
  写真とか大気とか、どうでもいいことをぐだぐだ聞いてくるなよ。聞き役に徹しろ、雰囲気を察してただ怖がれよと思ったけど、とりあえず、ひたすら怖かったですー、今思い出すのも怖くて、きっと吐きだしたかったんですよね、今まで人に話したことなかったけど、ネットなら聞いてもらえると思って。

 そう書いて、私はそのまま逃げた。そのあとも羊は、ノックに応答しないトイレに話しかけるみたいに時間についての難しい話をえんえんと書きこんでいた。きっと、素人向けの脳科学や哲学の本をあさりまくっているタイプなんだろう。それからナンパ野郎が羊に絡んだり、まあいろいろあったようだ。

  ずっと昔のことだ。まだツイッターもインスタもなくて、ネットをやるのはある種の限られた人間だけだった。
 
 私はその頃いろんな嘘話をひねりだしては書きこみをしていた。
 ぎりぎり、逃げ切れる時代だったのだ。
 そんな私もいい年になった。
 
 人間というものは年齢通りに時が進まないものらしく、肉体の部位ごとに衰え方が違う。足腰はめっちゃ弱ったけど、胃袋はまだ若いし脳みそだってまあまあ若いと思う。どっちもさっさと老いてしまったほうがいいのに。金がかかって仕方がないのだ。
 
 私の進化は砂時計みたいにあのころで止まってしまった。あまりに昔からネットをやっていたせいか、ツイッターやインスタに興味は持てなかった。ごく狭い世界で目立とうと努力していたあの頃のいじましさが、今のインターネットにはない。今の私はただ、外側から世界を見ているに過ぎない。

  今日も私は、だらだらとネットサーフィンをしていた。
 そろそろ昼飯にしようかと考えていたら、恐怖体験やら都市伝説やら未解決事件の話が乱立する中に、どこか既視感のある書きこみを見つけた。

「怪奇!それは死の砂時計…。

  見かけは普通、青い砂の入った3分砂時計。
 しかし、この時計をひっくり返すと、死に近づくと言われている。
 単純に3分進むからではないよ、本当の意味で死に接近するのだ…。
 外側は木で真ん中がすぼまった形のよくある砂時計だから、いったいどれほどの数が眠っているのかわからないが、ともかくそんな砂時計を発見したら、決してひっくり返したりはせずに思いきり叩き割って中身を風に撒き散らして欲しい。尚、水に濡らすのは厳禁だ」

  なんだこれ。
 青い砂時計とか、風にさらせとか、私が書いた嘘の投稿にそっくりだ。あの掲示板はとっくに閉鎖されたはずだが、こいつはどうやってあれを見つけ出したのだろう。
 
 それにしても命令口調の古臭い文体や、穴だらけの内容には思わず笑ってしまう。何も知らなかったから私は砂時計をひっくり返したのだし、風が吹いたのはあくまでも偶然だ。死に近づくとわかっているなら、ぐるぐる巻きにして封印しておくほうがよっぽど安全ではないか。
  これじゃあ、元ネタを書いた私が超アホみたいじゃん。まあ、アホっぽく書いたんだけどね。そのほうが怖いし。
私はコメント欄に反論を書き始めた。それはものすごく久しぶりのことだった。

「みなさん、だまされないでくださいね。この死の砂時計の話は大昔に私が考えて、とある掲示板に書きこんだものなんですよ。つまり真っ赤な嘘!だまされないでねー」
  送信ボタンを押そうとして、ふと手を止める。この話、ほっといたらこれからどうなるかな。結局、書きこむのはやめた。
 
  それからしばらくして、書きこみを見た人たちが青い砂時計を探し始めた。
  わざわざ店に買いに行く馬鹿もいた。そのなかには青くもなければ、プラスチック製の砂時計も混じっていたらしい。ともかく砂時計を手にしたやつらは、常に風が強く吹いているという岬に集まって割りまくったのだ。その岬は、砂の聖地と呼ばれるようになったが、壊れた木枠やガラスの破片が大量に不法投棄された。ビールの空き缶、煙草の吸殻もあった。何が聖地だ。
  地元の住人やガラスで足を切ったという観光客からクレームがきて、自治体がパトロールを始め、臨時の柵が作られ、砂時計の聖地はあっという間に忘れられた。
  けれどもこの手の書きこみは、熾火のようにくすぶり続ける。消えたと思えばまた現れる。そこには、忘れることが可能な記録がごっそり詰まっている。あらゆる砂が世界にばらまかれ、うずくまっている。忘れられては現れて、そのたびに色を変えていく。

  私は砂時計をずっとウオッチし続ける。そして一年後に新しい書きこみを見つける。

 「覚えてますか?死の青い砂時計。実はあの話、後日談があるんです。
  岬から巻かれた砂はあれから遠い異国の砂丘にまで飛んで行ったんです。砂は虹色に彩色され、幸せの砂時計と名づけられたそうです。キーホルダーになってキャラもついていたから、若い女の子にかなり売れたらしいです。
 でも、名前とは裏腹にそれは死を呼ぶ砂時計でした。前とは違って嫌な感じでパワーアップしてたんです。千回に一回、どの時点かはわからないけど、ひっくり返した瞬間に死が訪れるというんです。もちろん病死扱いですからニュースにはなっていません。よく売れたのでお土産にして持ち帰った人もいるはず。安くまとめ買いされて日本で売っているかもしれないので、皆さん虹色の砂時計を見たら、どうか気をつけて下さいね」
  
 一月後。

「わたし、虹色砂時計を見つけちゃいました!唯一助かる方法があるそうなので、書きこみますね。
 まず、砂時計をひっくり返します。それから後ろ向きの格好で家から出て、駅まで行って切符を買って後ろ向きで改札を出て階段を降りて、後ろむきに電車に乗ります。一駅乗ったらまた同じように後ろ向きで家まで帰る。玄関に入って鍵をかけたら封印は解けます。後ろ向きっていうのがポイント!」

  この書き込みに乗じて、あらゆる封印の解き方が流行する。

「回文を千個考えて完璧に唱えられたらセーフ」
「服を裏返しに着て三分かける千回、逆立ちする。できるかな?」
「あなたの最も古い知り合いに電話して三分話します。ただし、三分以内につながらないと死ぬ」
 道で転んだ子がいた。不謹慎と騒ぐ人がいた。回文が流行った。

  砂時計はまたあきられて、また復活してまたあきられた。その間にいったい何個の砂時計が引っ繰り返されたのか。
 私はふと時計を見上げた。無意識に、時間のことが気になっていたらしい。時計は三時二十九分で止まっていた。それから私はパソコンを折り畳むと、窓を開けて裸足のまま庭に降り立った。そして、その平たい銀色の長方形を思い切り庭石に叩きつけた。パソコンは派手な音を立てて地面に落ちただけだったけれど、私の体はばらばらになった。砂のように粉々になった。なるほど私をつなぎとめていたもの、それがここにあったのか。風が吹いてきて私を撒き散らした。

  もう何百年も昔、ある町でくだらない噂が流行ったそうだ。千回引っ繰り返すと、どこかの時点で死ぬという砂時計の話。人々は怖がりもせず、町中の雑貨屋から砂時計が消えた。だが、千回なんて数えられないやつがほとんどだった。人は知らない間に死んだ。
 
 とは言え、この話には元ネタがあるらしいのだが。これを考えたやつはよっぽど、過去に戻りたかったのかもしれない。それとも、過去に戻るのが怖かったのか。人は過去には戻れないと思ってるけど、過去はそこらじゅうに漂って、袖口を引っ張る。だから、こんな遊びが流行ったのかも知れない。
 昔は活気があった町もそれからいろんなことが起きて、さびれてしまった。だがあるとき、山に捨てられたごみのなかに、おかしな色の砂がかたまっているのを見たという人がいた。あの砂時計の砂だろうか。きっとあの砂は、世界中を旅していつもどこかの町をさびれさせているのだろう。
  
 その町はまた、息を吹き返した。なんでもでかい企業の誘致に成功したとかで、雇用が増えてでっかいスーパーとマンションが建ったらしいが、これから先もどうなるのかはわからない。また砂が飛んでくることもあるかもしれない。
 本当に、人間は時間をまっすぐに生きているのかわからない。本当は戻ったり進んだり止まったりしてるんじゃねえのって、思うことがあるよ。
 
(本作は、小川未明『眠い町』のパスティーシュとして書きました)

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