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【小説】ハッピーアイスクリーム・③こっくりさん、それから

ハッピーアイスクリーム ③
バイト先の高校生葛飾が持ち出した話題から、嫌々ながらこっくりさんをした苦い経験をたどるうちに、奇妙な記憶が蘇る。一方、片田さんからの電話を受けて舞い上がる葛飾。

こっくりさんと呪いと出どころのわからないニュース。

 店からもらってきた売れ残りのハンバーグをレンジに入れて、温まるのを待っていたら、こういう無為な時間をつかって筋トレするんだよ、と帰りのバスの中で話していた女の人の言葉を思い出した。しかし、疲れているから電子レンジを使っているので、そんなことはしたくない。無為であるというのは同意するが。
 一分にセットした残り時間が刻々と減って行く。口裂け女は一分間でどれくらいの距離を走れるのか。
 それにしても、口裂け女はもはや歴史なのか。まあ、そうか。
 口裂け女は、別格だった。怪談を聞いて夜トイレに行けなくなるみたいな一時的なものじゃなくて、もっと根源的な恐怖だった。あれは、大人の保護下で生きるしかなかった子供時代特有の怖さかもしれない。
 反対にトイレの花子さんは、さんがついているのがなんだか軽いと思っていた。あ、でも「さん」がついていても怖いものはある。こっくりさんとか。
 妖怪やお化けは勝手にやってくるけれども、こっくりさんはこちらから接触することが前提になっているところが、なんだか責任を感じてしまう。自分がやったのは一度だけで、放課後の教室で同じクラスの女の子と二人だった。名前は覚えていないが、あまり仲の良い子ではなかった。
 あのとき、窓の外は雨が降っていた。
 画用紙に五十音と、はいといいえと鳥居のマークを描いたものを用意して、十円玉に二人の指を乗せ、「こっくりさん、こっくりさん、いらっしゃいますか」と挨拶をすると、こっくりさんはゆっくり指を動かして、「お」「い」と返事をしてきたのだ。
「おい?おいってなに?」
「いるよってことじゃない?」
「変なの」
 仲の良くない子は、はじめから不遜な態度だった。
「明日、漢字テストはありますか」
 わざとわかっていることを聞いている。う、ん、と指が動いた。
「うんだって」
 このこっくりさんは子供なのだろうか、と思う。
「好きな食べ物はなんですか?」
 十円玉はゆっくりと、「なんでも」と答える。
「近藤君に好きな人はいますか」
 近藤くんは、サッカーがうまくて男子にも女子にも人気がある生徒だ。仲のいい友達にこれを聞かれたくなかったから自分を指名したのか。こっくりさんは少し時間をおいてから、「し、ら」と示した。
「し、ら?白石さんかな?」
 一番人気の女子の名前を言い終わる前に、十円玉が、「な、い」と動く。
「しら…ない?知らないかな」
「えー。なにそれ。ちっとも役に立たないじゃん」
 こいつ、こっくりさん相手になんて恐ろしいことを言うんだ。
「子供だもん、しょうがないよ」
「子供って?どういうこと?」
「わかんないけど、この人は子供なのかなって。子供のこっくりさん」
「ばっかみたい」
 仲の良くない子は椅子をがつんとひくと、ランドセルをひったくるようにして教室から出て行ってしまった。何たる態度だ。私だってやりたくなかったのに。でも、このまま終わるのは怖いから、最後に少し変わった質問をして終わりにしようと思う。
「私は今、どこにいますか?」
 答えは、宇宙の中の地球の中の日本の中の×県のなかの××市××町○○小学校。あのころ、そんなふうに言うのが流行っていたが、もちろんそんなことをこっくりさんが言う訳はないから、ここにいる、みたいな答えが返ってくるものだと待っていたが、指は少しも動かない。大きな雨粒が窓に貼りついて斜め下に流れ落ちていくのを見て、帰りが大変そうだと思う。終わりにするには、「こっくりさんこっくりさん、お帰り下さい」って言うんだっけ。そんなことを考えていると、急に指が動き始めた。


 めの、
 か

なか

「えっと、めのなか?」


ゆめ

「ゆ…め…ゆめ?ゆめのなか。夢の中?」
 そ 
 う
「誰のですか?」
 だ
 れ

でも
「だれのでも?誰のでもない夢の中?」
 私は今誰のでもない夢の中にいる?え?それってどういうこと?思わず周囲を見渡したが、もちろん誰もいない。外に出て誰もいなかったらどうしよう。職員室にもどこにも、それどころか道にも家にもいなかったら。雨だけが降っていたら。
 それからどうしたのかは覚えていない。ただ、こっくりさんがそれきり動かなくなったことだけを覚えている。

 ★
 目が覚めて時計を見ると、夜の一時を回っており、尿意を感じて寝落ちしたソファから起き上がったものの、葛飾はこのまま眠って死んだらトイレに行かなくていいのではないかと思うくらい眠かった。
 ネットの中に、今いくつ眠いって文字があんのかなあ、とか考えながらのろのろと起きてトイレに行って手を洗うと、不思議なくらいさっぱりと眠気は消えてしまった。
 バイトが終わったあと、片田さんから電話がかかってきた。
「え、驚いた。電話、知ってたっけ?」
「知ってる。ていうか、いろいろ調べさせてもらった。ごめん」
 片田さんがスパイみたいなことを言ったとき、葛飾は広いわりにいつも人気のない駅前公園で、入り口に立つ全裸女の銅像を見ながら、夏とはいえ夜は寒いだろとか馬鹿みたいなことを考えていたところだった。
「なんか用事だった?」
「さっき話してたハッピーアイスクリームが気になって」
「あーあれか」
「実を言うと聞こえてたんだ」
 ごめんね、と片田さんはまた謝った。なんで嘘をついたのかはこの際どうでもいい。たぶん一旦落ち着いて考えたかったんだろう。葛飾は、それで?と先を促した。 
「あの言葉どっかで聞いたことあるなーと思ってたんだけど、さっき鼻歌うたってたら思い出したんだよね。あたしが聞いたのは、それが呪いの言葉ってやつで」
「呪い?そんなの誰に聞いたの?」
「それをずっと考えてるんだけど、誰に聞いたのかもどこで知ったのかも思い出せないんだよ」
「それって、都市伝説とかうわさ話にどんどん尾ひれがついていくってやつではないの?」
「そうかなあ…まあ、そうかも」
「ネットで調べてみた?」
「いや、調べてない。なんとなく調べたくなくて」
「ああ」
 そういうことってある。なんでもネットで調べるのに嫌気がさすことが。
「葛飾さん、いまどこにいんの?」
「公園、駅前の」
「公園?そんなのあったっけ…イオンの中庭みたいなやつ?」
「いや、北のほうの」
「あー、おっぱいまるだしの女の人がいるとこ」
「そうそう。さむそうな女のいるとこ」
 葛飾さんも風邪ひかないようにね、夜風は女の天敵だよ、と片田さんは昭和のドラマに出てきそうなセリフを言って、電話は終わりになった。なにげに興奮状態だったから、そのままドトールでも行っちゃおうかと思ったけれども、金もないし片田さんの言いつけを守ってすんなり家に帰ると母親はもう寝ていたので、冷蔵庫にあった残り物を冷たいまま食べた。そのあと、テレビを見ながらそのままソファで寝てしまったようだ。
 つけっ放しのテレビからアナウンサーがぼそぼそ話す声がしている。葛飾は、リモコンを手に取るとボリュームを上げた。

 二〇××年、八月、水曜日の午後二時五分頃、東京都〇〇区で無差別殺傷事件が起きました。二人が死亡、ほか十七名が重軽傷を負った模様です。
 
 アナウンサーのマイクを持つ手が小刻みに震えていて、周囲には救急車や警察の車そして野次馬が群がっている。
 サスペンスドラマでよく見る場面だ。まあ、ドラマがこっちを真似しているんだけど。同じような話を繰り返すので、ザッピングしてほかも見たけど、通販とバラエティばかりでニュースはやっていない。
 犯人はどうやって殺したんだ?車で突っ込んだのか、ナイフで刺したのか。
 昼の二時なら目撃した人も何かの物音を聞いた人もいるはずなのに、犯人が取り押さえられたのか逃げたのかもわからない。あと、西暦を言ったのも変だ。普通は「本日午後二時ころ」とかいうだろう。西暦とか何月とかが出てくるのは事件が昔のことになったときだ。もしかすると古い事件なのかもとネットで検索してみたが、一件もヒットせず、かわりに口裂け女で検索したら、ものすごい数のブログや画像が並んだ。
 長い髪に白い服を着てマスクをつけているとか、マスクを外すと両端まで裂けた口が現れて「私、きれい?」と言うとか、「きれい」と答えないと殺されるとか。
 相手は女だ、いざとなったら防犯笛を鳴らしてダッシュしろよ。大体そんだけ目立つ格好をしてるなら警察が発見できないのもおかしい。百メートルをものすごい速さで走ったっていうのだって、一体誰がどうやって測定したんだか。
 口裂け女と対照的にハッピーアイスクリームは情報が少なくて、大体店の人が話していたのと同じだったし、片田さんの言っていた呪いについては何も出てこなかった。もしかすると、ごく一部の人たちの間で起きたことなのかもしれない。
 検索している間にニュースは終わってしまったようで、コマーシャルが流れている。母親は見たい番組は録画予約して、見る前にコマーシャルカットしている。うっかりラストを見ちゃったりしないのかと思うけれども、録画してすぐに見るわけではないようだから、大丈夫なのか。葛飾はサスペンスの途中だろうと適当に見始めて、コマーシャルも見るのにラストは面倒だから見ないなんてしょっちゅうだが。
 チャチャチャチャ、ともう何回か聴いたかわからない自動車保険のCMソングが流れる。最初のセリフは「私、事故を起こしたこともないのに保険が変わらないんです」いや、ちょっと違うか「保険料がちっとも安くならなくて?」「保険料が高いと思うんですよね?」全然違う。深夜のロングバージョンなのか、なかなか台詞が始まらなくて、確かめられない。
 繰り返される韻律を聴いているうちにまた眠くなってきた。部屋の隅に白っぽい服を着た人が立って、自分を見下ろしている。ちょっとお母さん、布団かけてくんないって言った気がするけれど、そのまま眠ってしまったらしく、目が覚めたときには部屋の中はすでに薄明るかった。ふとんはかかっておらず、テレビは消えていた。

ハッピーアイスクリーム ④に続く

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