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見られる日記 町子さんと小太郎

 私の日記を盗み読みしている人がいるようなので、その人に向けて嘘の日記を書くことにした。
 
 某月某日 やけに姿勢の良い人と見合いをしたが、私はくねくねした人が好きなのだ。

 これは先週の木曜日に書いた日記だ。わざと誰でもとれる場所に放置した。開け放った窓際とか、鍵のかかっていないポストの中とか、庭に植えてあるいちじくの木の枝にかけておいたら、さっそく、町でそれらしき人に出くわした。その人は話している間中、首と手首をくねくねと回していたのだ。これは犯人に違いないと思った私は、日記を猫の部屋に置くことにした。

 それから三日経ったが、どうも猫の様子がおかしい。

 某月某日 猫は私のことが好きだ。

 これは、日記を猫の部屋に置いた日に書いた文だ。翌日の昼に、大好きな煮干しをあげたのに猫は遠慮して食べようとしない。と思ったら、そんなに気を使わないでくださいよ、なんて言いながら、結局全部食べていたが。シシャモを焼くと、悪いけど決まった飼い主がいるんで、と言いつつシシャモをがつがつと食べる。決まった飼い主って誰だ。私じゃないのか。
 仕方がない、再び隠し場所を変えることにする。

 某月某日 くねくねではもの足りなくなってきた。

 最近では、日記を持ち歩くようにしている。先日町で会ったくねくねは、恋人らしき鹿と歩いていた。猫は相変わらずよく食べるが、完全にこちらを無視している。
 ところで、また新たな犯人説が浮上した。どうも、毎週水曜に電車で会う女の人があやしいようだ。やけに腕を振り回すその姿は、ほとんどクラシック指揮者だ。さよならを言って電車を降りた。

 某月某日 これは本当の日記である。そもそも誰かが日記を読んでいるという疑いが間違いだった。例の指揮者に次の水曜に会ったのでこんにちはと言ってやったが、なぜか私のほうはほとんど見もせずに、向かいに座っていた衣紋掛けに向かって指揮をしていた。
 ようは、私が誰かに日記を読んで欲しいと思っていたのだ。そう悟った私は、日記を持って好きな人のところに行くことにした。

某月某日 もう、日記を書くのをやめる。

 好きな人は、他人の日記を読むのは倫理に反するといって受け取ってくれなかったが、ひろげた扇子に揮毫された文字からも、私に興味がないのは丸わかりだ。ちなみに、書かれていた言葉は五里霧中。
 やけになった私が酒をひっかけてふらふらと歩いていると、お巡りさんに職務質問されたので日記を差し出した。彼が読もうとした瞬間に、「他人の日記を読むのは倫理に反しますよ」と叫んでやった。とうぜん、つかまる。留置所に憧れていたのに入れてくれない。お巡りさんは私の日記を読んで、「あんたもまあかわいそうに」とか、「猫にも指揮者にも振られて」とか、「見合いはどうなったの」とか聞いてくる。破談になったと言うと、同情して飴をくれて家に帰された。

 これからは、日記を一月まとめて書こうと思う。ということで、まず先月のことを思い出して書く。
 寝た。食べた。また寝た。起きた。話した。風呂に入る。今月は、小太郎、町子(存在はたしかだが、何をしたか、何を話したか?)に会った。歩いた。寝返りをうった。会社(存在はたしかだが、出勤したかどうか?)に言ってお菓子を食べた気がする。足をたんすの角にぶつけた。
 たんすの角にぶつけたのは、月の終わりの日で、昨日のことだ。
 人間の時間というのは、過ぎてしまうと団子のようにまるまってしまうのか。ためしに一年間をまとめて思い出してみると、夕日のような光が頭に差し込み、思い出もぼう、としている。ためしに一生を振り返ってみると、まばゆい光が差し込むばかりで、最早何も思い出せなかった。

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