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知らない人に手を差し伸べること

私が看護学生の時・・・(もう35年くらい前かな?)。
杖を使って道を歩いているおばあさんを見て、先輩が言うんです。
あの段差、ちゃんと歩けるかな。

今の私なら、当たり前に思う言葉ですが、当時、看護師になりたいわけではなく、なんとなく看護学校に行った私は、「そんな視点で、人をみれるなんてすごいな。」と感心したんです。

今、思い出しても自分はなんてひどい人間だったんだろうって思うんです。


人に手を差し伸べる勇気

冒頭に、人の心配をする先輩のことを書きましたが、心配する次の行動は、手を差し伸べることなんじゃないかなって思うわけです。

道行く人に手を差し伸べるって、簡単なようにみえて、いざ自分になると難しいもの。

私が千葉県に住んでいる時の話、確かコロナ前なので、5年くらい前のことだったでしょうか。

仕事ではなく、都内の友達のところに遊びに行く時の話なんですが、その日は、時間がギリギリになってしまって、かなり急いでいました。

自分の乗りたい電車の発車時刻まで、あと2~3分、走れば間に合うかなと、駅の改札に入ろうとしたら、改札の前にある大きな柱にぶつかって、前に進めなくなっている高齢の方がいたんです。その方は、白い杖を持っていたので、視覚障害者だったんだと思うんです。

「声をかけて誘導してあげなきゃ」と思う気持ち
「電車に乗れなくなっちゃう・・・」と思う気持ち

一瞬のうちに自分の頭のなかで計算していたんだと思うんです。
そして、私がした行動は・・・。

その方に手を差し伸べることはせず、
(私が助けなくても)誰かが助けてくれるだろう・・・
その時の自分は、そう思ってみて見ぬふりをし、改札を抜けて電車に飛び乗りました。

ずっと持ち続ける後悔

その時はいいんです。
乗りたい電車にも乗れたし、その日の予定が狂うことはありませんでしたし。

でもね、これが、私のずーっと続く後悔になってしまったんですよね。

人として〝見て見ぬふり〟は良くなかったなぁ・・・と、あとから後悔。
日頃から看護師として仕事をしているのに、「それはないなぁ・・・」と、自分に対して思う気持ち。あの時の映像が頭に浮かぶ。

そうは言ってもその時に戻れるわけではありません。
そういう自分もまた自分、受け止めていくしかないんです・・・。

それからの自分

そういう苦い経験から、自分が思ったことは・・・。

  • 自分の目の前で起こったことにはきちんと向き合おう

  • 人が困っていたら手を差し伸べよう

自分が「思っていても出来ない人間だったんだ」と認めるところからでしたね。

そんな自分を認めることが出来るようになったある日。
電車に乗っていたら、電車の中で1人の男性が急に倒れたんです。
それも私の足元で、です。

最初ふざけているのかと思いました。
だって、まわりの人誰も手を差し伸べる人がいなかったんです(>_<)
それも、逆に、まわりの人は離れていくのです。その倒れた人を中心に円が出来ました(苦笑)。

でも、1人だけ手を差し伸べてくれる人がいました。
2人で倒れた人に声をかけて、意識はあるけれど、思うように動けない状態でしたので、次の停車駅で一緒に降りて、駅員さんにお願いしました。

幸い大したことはなさそうだったので安心しました。
そして、今回はちゃんと手を差し伸べることが出来たって思って、ちょっと自分を褒めてあげました(あまいかな?)。

その後も、道を歩いていたら、動けなくなっている高齢の方がいて、すごく困っていたので、症状を確認して、救急車を呼んだりもしました。この時は、救急車の方に、救助のお礼とかで感謝カードのようなものをいただきました(こんなカードがあるんだぁ・・・と驚き)。

なんだか試されている気がしますね。

ただ、もう後悔はしたくないなぁと思って・・・。
困っている人がいたら、その時に自分にできること、ちゃんとやろうって思ったというお話でした。

同じような経験をしたことのある人っているでしょうか。

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