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グループサウンズが歌謡曲化した理由

1960年代の後半(昭和40年代の前半)、グループサウンズ(GS)が日本を席巻した。100を超えるグループがレコード・デビューしている。

他ジャンルからエレキサウンドへ

エレキバンドのブームが起こった時、テレビでは2つのオーディション番組があった。フジテレビの「勝抜きエレキ合戦」と日本テレビの「世界へ飛び出せ!ニューエレキサウンド」で、前者には井上宗孝とシャープ・ファイブ、後者にはザ・スパイダースというハウスバンドがレギュラーで出演していた。シャープ・ファイブはロカビリーバンド出身者が結成、ザ・スパイダースはカントリー・ウエスタンのドラムス・田辺昭知が同じロカビリー出身のかまやつひろしやエレキ時代の若いメンバーを集めたバンドだった。
この時点では、インストゥルメンタル(演奏だけ)で、歌詞はついていなかった。

GS(グループサウンズ)の誕生

「勝抜きエレキ合戦」で最初に勝抜いたザ・サベージは、レコード・デビューすることになったが、インストゥルメンタルのエレキサウンドではなく、カレッジ・フォーク調の歌のついた「いつまでも いつまでも」(昭和41年7月)だった。GSの最初はロックではなかった。
それまでも和製ポップスは存在していたので、和製ロックが誕生すると思いきや、カレッジ・フォーク風を歌い始めて、しかもヒットしてしまった。
は、英米のロックのサウンドに日本語詞をつけて歌うという冒険に消極的であったに違いない。
でも、この最初のボタンの掛け違いがその後のGSの行方を左右することになった。

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