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摂食・嚥下の研修会で感じたこと

令和5年7月26日に開催された摂食・嚥下に関わるポディショニングの研修会を振り返ってます。理由は島影さんのnoteを何気なくみていたら、研修会の記事があったからで、専門職でもないのに、この人の解釈と考察のチカラは凄すぎる〜とひとりで感動していたからです😆

小松先生の教え方は本当に分かりやすくて凄いですね。セラピストですが専門用語の羅列で介護職を惑わす呪文を唱えるのではなく、体験をベースに感覚から伝えてくれるので、本当に身になる素晴らしい研修会になりました!


原理を知ることの重要性

研修を通じて感じたことは、その人に最良のケアを提供するために、画一的な方法はないということです。摂食・嚥下の原理は普遍的ですが、利用者の持ち得る条件(体格や姿勢や機能など)はバラバラです。ある対象者にはベストな方法でも、それが別の対象者にとってベストとは限らない。つまり普遍性と個別性の双方を見極めながら、その人へのアプローチをオーダーメイドで設計することが介護職の思考過程であり、それを実際のケアとして再現することが介護技術ということになるのでしょう。設計がなければ技術は間違えるし、設計がどれだけ素晴らしくても、それを再現する技術がなければ、これもまた間違える。摂食・嚥下というテーマを超えて、介護職のスキルとは何か?という問いを明確にする機会にもなったということで、本当に意味のある研修会だったと思います。


感染対策との共通項

話しは脱線しますが、新型コロナウイルスが発生して大混乱になっている時期に、感染症の有識者を招いて研修会を開催した時も同じことを感じました。

感染対策にとって重要なことは、どの対策を取るかと同じくらいに、どの対策を取らないかを判断することが重要だと教えていただきました。例えばその時期だと、施設の床もアルコールを使用して定期的に清掃するべきかなんて議論もありましたが、感染に怯えて過剰対策をすると、本当に大切な対策が疎かになったり、食事や排泄を中心とした基礎ケアが疎かになって、脱水や低栄養というリスクを肥大させるという本末転倒な結果に陥ることもあります。感染の原理は普遍ですが、施設や事業所の環境や人の動きはバラバラなので、過大でもなく過小でもない適切さが求められるわけですが、その判断はやはり原理を知ることから始まるんですね。


適切性の追求

感染対策にしても摂食・嚥下にしても、あるいはその他の身体介護技術においても、原理の理解がない現場は過大と過小に満ち溢れてしまいます。それにより過剰な介護な生まれて介護職が腰痛になったり、過小さによって対象者のデメリットが肥大したりと、双方にとって苦しい現場がつくられてしまいます。介護の考え方も遠大になりすぎて、足下を見失いがちですが、施設にしても在宅にしても、中核となるのは食事・排泄・入浴・移動(移乗も含む)ですから、まずはそこに対する適切性の追求によって軽やかな現場をつくり、それによって生まれた余力から新たな領域に足を踏み出すというプロセスは本当に大切なことだと思います。


話しが逸れたり大きくなりましたが、適切性の追求のためにはまずは原理を知り、そこから個別の条件に応用していくということ。基礎的な知識があり、その次に個別のアセスメントがあり、具体的なアプローチを設計して、それを再現する技術(手技だけでなく環境をつくる技術)を高度化させるということ。『いやいや、そんなことは知ってるよ。介護課程の展開の基礎だよ!』と突っ込まれそうですが、頭で分かっていることと実際にできているということは違います。そう言う自分も修行中の未熟者なので、共に成長していくお仲間を探していますので、メンバーシップに登録していただくと喜びます!宜しくお願いします〜☺️

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