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本当に好きなことの見つけ方

最近、よく喋るようになった。
決して返事の返ってこない相手に対し、まるでひたすら独り言を言うように話しているのだ。

熱心に話す相手は愛犬のココちゃんである。

おはよう、とか、ただいま、だけでなく、

「留守番がんばったなぁ、おやつ食べよ」
「今日は疲れたわぁ。ちょっと話聞いてや」
「さあご飯ご飯、柿買ったから一緒に食べよか」
「何で世の中、理不尽なんやろな。どう思う ? 」
「ココちゃんが俺の立場やったらどうする ? 」

なんて、精神年齢2、3歳と言われている小さな命に容赦ない難問をぶつけながら、返事が返ってこない絶妙な沈黙時間につい吹き出してしまう。

分かるわけがないと思っていても、自分のエゴだと分かっていても、思いを共有したいという思いがどこかにあるのだろう。

いつも無表情なこの子はいったいどう思っているのだろう。かまってくれてると喜んでいるのか、はたまた「知らねーよ」なんて思っているのか(笑)
それを知る術さえ僕は持ち合わせていないのだ。

と、こうして日常の何ていうことのない話を今、僕は書いている。なぜか書いている。

これはもはや理屈ではない。
今の思いを書かずにはいられないのだ。
そうした衝動や情熱が押し寄せてきた時、抵抗のできない波となって必死に僕を駆り立てるのだ。

実を言うと、最近あまり記事を書けていなかった。
時間がない、他にもやりたいことがある、書くことにあまり気が向かない。そんなことを毎日思いながら。書くことから遠ざかっていた。

それでも気づけば今、僕の右手にはペンが握られている。そして息をするように文章を書いている。

結局、悩みながら、あがきながら、もう興味を失ったと言いながら、いつもこのnoteという場所に戻ってくる。そうした人が本当に「書くことが好きな人」ということなのではないだろうか ? 

以前にこんな質問をあるnoterさんから受けたことがある。

「あなたはnoteを通じて何を実現したいのか。はっきりとプロフィールに明記した方がいいのでは ? 」

その時は違和感は感じたが、それをうまく言葉にすることができなかった。今ならこう言うだろう。

「目的なんてありません。書くことが好きだから書く。それで充分じゃないですか」と。

好きな人がいて、「何であなたはあの人が好きなのですか ? 」と聞かれて困るように、好きなものに理由なんてないと思う。

あと約1ヶ月でnoteを始めてから1年になる。
やっと1年、ではなく、気づいたらもう1年も経つのか、という心境である。
noteから離れたこともあったし面白くなくなったこともあった。それでもこうして続いている。

本当に好きなものの見つけ方。
それは、1ヶ月、3ヶ月、半年、など節目を意識しないもの、と言えるのではないかと感じる。
気づいたらもうそんなに経つのか、という感覚を持てるもの。

note以外の趣味や仕事においても同じことが言えるだろう。紆余曲折を経ながらも、見えない引力に導かれるように戻ってくる場所。

好きこそものの上手なれ。
本当に好きなことを見つけることは、自分の幸せ、成長にきっとつながるだろう。

そしてそれを見定める「眼」は結局のところ、自分の中にしかないのである。




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