フラッシュバック



わたしは定期的に躁状態と鬱状態を繰り返す、躁鬱病である。夏は躁状態が続いていた。みんなのおかげで毎日楽しかった。ありがとうございます。

最近は気分が落ちがちである。LINEしてもTwitterでリプを送っても、返事が遅かったり、生返事だったりするのはそれが関係している。割と申し訳ないと思っている。

この間、東京を通りがかった。新宿という街に行った。たいへんゴミゴミしく、焼肉の香りがしていた。別にきらいじゃなかった。
1人の女の子とすれ違った。いわゆる地雷ちっくな格好をした、イマドキの女の子であった。数人の友達と一緒に話しながら、わたしの前を通り過ぎて行った。その声に、その背格好には見覚えがあった。高校の時にわたしをいじめていた女の子と、ひどく似通っていた。

東京に行った頃、ちょうど気分の折り返し地点に立っていることは自覚していた。ごくごく少数の周りの人たちには少し伝えた。あの時は心配してくれてありがとう。
あれから気分は落ち込んでいるし、家から出ることが極端に減った。本当に家から出ない。出るにしても、夜から早朝にかけてばかりだ。お風呂にもなかなか入れず、気を抜くと部屋もすごく散らかってしまう。それでも、このあいだよりかは基本的にマシな状態が続いている。

鬱になるとどうなるか。その時、その人でそれぞれなのが難しいものなのだ。
わたしは上記の通り、家から一切出られなくなってしまうことが多い。あとは言動に棘が増えたり、光や音などの感覚に対して過敏になったりしてしまうことがある。逆に鈍くなることもある。とにかく、生きていくために必要な感覚が狂うのだ。
そして今回記録する「フラッシュバック」も、たまに起きる。たいへんなものである。これが一番苦しいかもしれない。先程、久々に起きた。忘れないように、この感覚をなるべく精巧に記録したいと思う。
さっきは、ぼうとしながらtiktokを眺めていた。そうしたら、なんだか不意に嫌な記憶が蘇ってきた。ここからはいじめの内容を含むから、苦手な人は読まないでほしい。ざっくり説明すると、いじめていた女の子は、わたしと同じグループで行動することが多かった。すごく仲が良さそうだったと思う。(わたしを省いた)同じグループの女の子たち数人と繋がっている(はずの)Twitterがあったそうだ。いわゆる「裏垢」というものだった。なぜわたしがそれを知っているかというと、目の前で、聞こえるようにその話をするからだった。だから、知っているのだ。そのアカウントではわたしを揶揄するような呟きと、彼女自身の自撮りがつぶやかれていた。なぜわたしがそれを知っているかというと、ふとしたときにそのアカウントを見つけてしまったからであった。内容も、自撮りも、彼女のアカウントだと裏付けるもので間違いなかった。根も葉もないこと、彼女の妄想に近いことばかりが連ねられていた。内容は今も鮮明に覚えているはずだ、わたしの大事で大きな脳みそはそれほど甘くはない。ただ、記憶に対して強く封をしている状態になっているのだろうと思う。思いだすためには長い時間がかかりそうなのである。ただ、必ず覚えている。絶対に忘れないようなことが、そこには書かれていた。

先程、そのTwitterアカウントの現在が気になって、出来心で検索してしまった。あった。おそらくあれだ。現在は鍵がかかっていて、みることはできなかった。ただ、IDや、アカウントの制作年月からして、彼女のアカウントで間違い無いだろうと思った。

完全に自分のせいだが、それから急に腹痛に襲われた。生理痛や食あたりとは違う、お腹をゆがめられたような気持ち悪い痛み。同時に腹中を刺すようにも痛む。その痛みを追うようにして、急な吐き気が襲ってくるのだ。込み上げる胃酸に思わず立ち上がろうとするも、目眩がしてしまって、何かを頼りにしなければまっすぐ立っていられない。結局しばらくその場で吐き気を我慢しながら座り込んでいた。そうしたはいいものの、次は胸までも苦しくなって、大きく息をしながら、大きく息をしながら、次の空気を待つ。ただ、どれだけ吸ったって次の空気は綺麗に身体に行き渡らないような、からぶった呼吸を繰り返す。だんだん回数を重ねるにつれて呼吸は大きくなっていき、身体的な辛さと、襲いかかる記憶に涙があふれる。過呼吸になったあとは、持病のぜん息になる。必ずだ。からぶって、息がなかなか身体に入らない焦りから、どんどん気持ち悪くなって、皮膚からはじっとりしたいやな汗が滲み出る。助けてくれ、助けてくれ、今、助けてくれ。心からそう思っても、誰も何もしてくれないのだから(ひとり暮らしだからね)と、気合を入れて、トイレまで向かう。そこらじゅうの掴めそうなものを頼りにしながら、危うい足取りでノブを捻る。思わず蓋を開けたあと、座り込んで気持ち悪いものを吐き出した。泣きながら吐き出した。心臓まで出てしまうのではないかと思うくらい、嗚咽を上げながら吐いた。胃酸で喉が痛い。普段吐かないからかな。そのまま便座の前に座り込んで、えんえんと泣いていた。なんだか怖くなってしまったのだ。少し泣き喚いたあと、引っ掴んで来ていたスマートフォンを操作する。接続していた有線イヤフォンの耳の部分をいつもより耳に強く押し込んで、音量を最大まで上げる。大好きな、いつだって裏切らない音楽に縋る。聴いていたのは、カラスヤサボウPの「共犯者」だ。夢をくれるような、楽しいだけじゃないような、いちばん好きな歌だ。人間の声を聴くと、何かが崩れてしまいそうだったのもあるけれど、ボカロの正確に刻む音程は特に安心をくれる。小学生の頃からそうだ。そうしてかれこれ20分くらい経っただろうか。やっと呼吸も落ち着いて、記憶も薄まって、音楽に耳が傾いていく。落ち着く、満たされる。

トイレを出てからは、部屋の電気を落として、間接照明だけをつけた。枕元の暖かい色の光だ。それから、しばらくして、PCを電源に接続しながら、今この文章を書いている。フラッシュバックの後すぐに書いているので、鮮度はばつぐんだ。今も手は少し震えて力が入りづらいし、涙はたらたらと流れてくることがある。別にその涙に、特段の意味はない。

これを読んだあなたは、周りにそのような症状の人がいても、しばらく放っておいてあげてほしい。隣にいてくれるだけでいいんです。かなり、落ち着くから。あなたみたいに優しい人が、何もせずとも、隣にいてくれている事実だけで、その人はきっと過去と少しずつ遠ざかっていくことができるから。

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