誕生日

本当は、20歳までに死んでいるはずだった。


昨日、20回目の誕生日を迎えた。友達からたくさんのメッセージをもらって、近況を話すと、心配したようにご飯に誘ってくれる人もいた。周りから愛されていると強く実感した。


私は2002年7月6日に生まれた。土曜日だった。多分、どうせ、暑かったのだろう。それから順調に育っていったものの、2歳くらいで少し病気をした。それが原因なのかはわからないけれど、小学生になっても、中学生になっても、今でもよく熱を出してしまう。ぜんそくや偏頭痛のようなものもある。生きるにはとても不向きな身体だと、よく思わされる。


家庭の環境は人それぞれであるし、親ガチャの「あたり」と「はずれ」について議論しようものなら、その人がどのような環境で育ってきたのかがある程度透けて見えてしまうような、そんな側面はある。ちょっと何が言いたいのかわからないかもしれないが、親やそれを取り巻く環境というのは人間を形成する上でかなりのウエイトを占める重大な部分であり、何を大事とするかは人それぞれだが、決して無視することはできないものだと言いたい。この前置きをもって話を進めていきたい。


私の家は比較的裕福で、金銭面で困ったことは記憶の上ではない。すごくありがたいことだ。ただ何故か、親からの愛を欠いてしまっていた(気がしている)。いまだに「親からの愛」に固執している自分がいる気がしているし、事実そうだと思う(そんな簡単に認めたくないためにこのような回りくどい言い方になってしまっている)。そのためか、人から可愛がられることや人に気に入ってもらうことにすごく情熱を注いだこともあった。今は何も気にしないでも、たくさんの人が慕ってくれるけれど。これはたいへん、たいへんにありがたいことだ。


親からの愛がうまく受け取れずに過ごした青春時代は見るにも堪えないような荒んだものだったと思う。外では親の面子もあるわけで、懸命に優等生をして、一息つくために家に帰ったら、家でも同じような面を要求される。私はいつ一息ついたらいいんだよ、とため息をついているような毎日だったと思い起こしている。窮屈だろう、と声をかけてあげたい。


そのような日々は長くは続かないのだ。今日という日は毎日誰かの犠牲のもとに成り立っている、というフレーズがあるが、その「誰か」が毎日同じ人であった時、その言葉は成立するわけがない。だからと言って、その言葉の意味をとると、その「誰か」をシフト制にしているわけもないだろうと思う(そうすると言葉の「うつくしさ(笑)」が損なわれてしまうからね)。


そんなこんなで限界を迎えても、知らない知らない、気づかない気づかないのふりを続け、無事弱い身体を携えたうつ病患者となったのであった。非常におバカである。


以上の理由だけではもちろんないけれども、私は「生きる」ということに向いていないのだ。本当に、向いていない。身体的な理由だけでこれだけの問題がある。終わっているだろう、控えめに言ってさ。


ただ、いろいろな人たちからおめでとうと言われて、ありがとうと返すうちに生きているのも悪くないと思えた。本当は、幽霊としてキーボードを打っているはずだったのに(あっ、幽霊だったならキーを押せないや!)、人間として体温をもって、キーに対してあたり判定があるのは非常に嬉しいことなのだ。


これから話すことは、私と直接関わりのある方々ならなんとなくわかる感覚かもしれないが、そうでない人たちのためにも例を出して説明を始めようと思う。

例えば、あなたが今着ている服の色が、本当に相手にも同じ色に見えているのだろうか、世界で自分だけこの色に見えているのではないだろうか。あとは、水に指を突っ込んで、みんなあったかいな、ぬるいなと口々にいう中で、あなただけ冷たいと感じたようなことはないだろうか。

そんな感覚と一緒に生きてきたのだ。自分だけどこか違うような、違うのではないかと常に思い続ける感覚。皆統合されている(はずの)部分で決定的なズレを感じることが多いような、そんな人生だった気がする。ただこれは非常に漠然としていて、著し難い。


そのために時折、とんでもないまでの恐怖や不安に襲われて、所構わず叫び出したくなる時もある。ウイスキーを頭から浴びて思考を消毒したい時もある。(関係ないけれど、洗脳って脳を洗うって書くの、面白いよね。)


その点も加味すると、ますます私は生きるのに向いていないと思うだろう。身体も心も強くはなく、周りとのズレを感じながら生きなければならないのだ。正直、20年生きてきて、辛い日の方が多かったと思うし、1日ずつ日記をつけていたとしても面白いものではなかったと思う。


それでも私と仲良くしてくれる人たちはいるし、その人たちにメッセージをもらったとき、みんなに生かしてもらっているのだなと強く実感した。みんなのおめでとうのメッセージをもらったとき、実は泣いていたよ、嬉しくて。あと、死にたいかもしれない、死にたいような心地がしているって言った時に、生きていて欲しいけど止めないよって言ってくれた人たちにも、この機会だし同様の感謝を伝えようと思う。ありがとう。


人から愛されることで生きている私はまるで妖怪のようですが、そんな私でも生きていられるのはみんなのおかげです。みんなは死ぬまで私のことを愛して、一緒に長生きさせてください。


さいごに、20歳まで生かしてくれてありがとう、生きていてよかったです。

同じくらい酷い人間やものたちにも触れてはきたけれども、それでもそれがチャラになるくらい、良い人間や良い作品に出会える人生で、豊かな私で、よかったです。正直いうと、これからのことを一切考えていなかったのだけれども、のらりくらりと生きていこうかと思っています。生きてるかなと思ったら、いつでもLINEか何かでメッセージくれてもいいし、電話くれても良いです。嬉しいから。いつもありがとう。これからもお世話になります。

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