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「思いやり」を本気で考えるあーさん



あーさんについて

私は何事も真っ直ぐにしか進めない大変不器用な人間だ。
今年は三回目の年女である。
短くもなく長くもないこの半生は、比較的波のある人生だったように思う。

幼少期~思春期のこと

人生で最初に本気で悩んだのは「戦地に赴いた父親を心配する友達の心をどうやって癒すか」だった。
思春期に本気で悩んだのは「親元では命の危険があるのに、世の中は保護者の同意がないと自立もできない」ということだった。

どちらの経験もいつか記事にしていけたらと思う。

二十代のこと

成人して結婚してすぐに流産した。それがきっかけで体調を崩し、一日に20錠もの服薬をする闘病生活が始まった。

心身が回復して社会人として働こうと行動を起こしても、元夫に生活能力がないことを理由に反対された。半年の職業訓練を経て得た二社の内定も泣く泣く手放した。

そのうち元夫が「ADHD」と診断され本格的に「元夫の介助要因として一生を添い遂げるのか、手放して自分の人生を生きるのか」の選択になった。

数年悩んだ末、十年の結婚生活を終わらせた。そして生きるために死に物狂いで就職活動を始めた。

三十代のこと

高卒 33歳 職歴なし 女性
そんな悪条件の私でも、拾っていただける会社が見つかった。でも二年も持たずして退職して、今は無職である。

端的に退職理由を述べるなら「男性社会の不条理に耐えることができなかったから」

わがままかもしれない、世間知らずかもしれない。でも私は私で成し遂げたい信念があったのだが、それを根本から折られる出来事があった。

結局のところ自分の作りたい世界は自分で作り出すべきなのであって、人様の立ち上げた会社で成すべきことではなかったのだと思う。
せっかく雇用していただいた会社に社員として貢献できなかったのは残念だが、今後私が花開いた形で力になれる日が来たらいいなと思っている。

ちなみに再婚した夫に守られているおかげで、日々の衣食住に困っているという状況ではない。夫には頭が上がらない、感謝してもしきれない。だから前を向いて生きていこうと思うし、夫にも恩返しをしていきたいと思う。

そして今後のこと

この安定しない人生で何回か死にかけたことがあったが、そのたびにいつも誰かが手を差し伸べてくれた。その温かみを一日たりとも忘れた日はない。

自分が社会不適合者なのか飽き性なのかわからなくなってきているこの頃だが、ひとつだけ確かなことがある。

世の中の「助けての声」に手を差し伸べられる人間になりたい。

そして漠然と方向性が見えてきた。何のしがらみもなく、ただ純粋に人に手を差し伸べられる組織を自分で立ち上げようと思う。
利益を上げるのか、非営利として考えるのか、そもそもどういう媒体の組織にするかはまだ手探りだ。もしかすると今は知らない何か別の働き方があるのかもしれない。
その一歩として活動を始めていこうと思う。この記事はその活動の第一歩である。

「助け助けられる」の上下の関係ではなく、「助けての声に手を差し伸べる」という対等な関係で社会貢献がしたいというのは理想論なのだろうか。
本当の意味で「思いやり」ってなんだろう。

おわりに

このnoteはそんなあーさんがつらつらと記載していきます。
基本的に平日は毎日更新していく予定なので、よかったらまた足を運んでいただけると嬉しいです。





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