見出し画像

山手資料館の聖母子像画

 彼女の真の容姿だけでも知りたい。真中は名画といわれる絵画から、そのヒントを得ようと考え、数十点もの作品を集めてみた。どれもピンとこない。大半が幼いキリストと共に描かれている。名画の中の彼女は、どれもこれも真中のイメージとは違っていた。なかには、聖母の崇高さや優美さすらなく、不気味でグロテスクなものさえあった。
 真実の顔をと言ってみたところで、マリアは二千年も前の女性である。当時の状況を考えると、本物の顔や姿を描いた肖像画が存在するはずがない。
 そこで真中は今までに得た自分なりのイメージに合う顔を絵画の彼女に求めたのだ。ただ崇高で高貴なだけでもない、優雅さや優美さだけではない彼女の真の姿。人間臭く、ウイットに富んだ知性溢れる容姿を捜していたのである。
 どの名画も、キリスト教が確立してから何百年もあとになって、信仰心に篤い画家たちの手で描かれたものばかりだった。神の子を抱くという意識が強く、彼女の表情は宗教的な意味合いを持ちすぎていた。
 彼女の顔を知りたい。その願いが頓挫し、あきらめかけていたとき、第四の奇跡が起きたのである。
 まず、白亜の立像を神秘的な逆光に浮かび上がらせ、真中に強い印象を与えた。その上で、資料館の二階へと導く手法は、名古屋の徳川博物館と同じである。さらに今回は、誰ともわからぬ無名な画家の描いた作品を使い、またも真中を驚かせた。
 マリアは決して実際の姿を現そうとしない。夢の中でさえ。その姿を、いわゆる名画ではなく、粗末な絵画で示す粋なやり方を演出した。あらためて彼女のセンスに感心し、その絵の中から自分を見つめる
「意思が強く、毅然とした知性溢れる逞しい顔」を真中はその目に焼きつけた。
 真中は思う。聖母マリアは伝えられるような、ただ優美で慈愛に満ち、高潔で崇高な女性ではない。だからこそ、彼女は我が子イエス・キリストを度重なる迫害の手から守り、神の子として育てあげ、世に送り出すことができたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?