ライターやすきち

政治から農業まで手がけるフリーライター。アマゾンkindle storeにて編集した『…

ライターやすきち

政治から農業まで手がけるフリーライター。アマゾンkindle storeにて編集した『誰が聖母マリアを葬ったのか』日本語版・英語版を発売中。https://www.amazon.co.jp/dp/B07MNB5BD8 過剰な有機農業信仰・健康志向礼讃を疑問視する喫煙派

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不思議のメダイに隠されたメッセージ

我が子は あなたがたに 希望を告げるために生まれました 苦悩を救うためでなく 初夏の薫りが巷に溢れるよく晴れた日の午後、六十三歳になる作家のもとに出版社から一通の封筒が届いた。ノンフィクション作家であり、建築設備会社の経営者でもある彼はここ数年、書き下ろしの新作を出版していない。最後のベストセラーは三年前に遡る。封筒の送り主である大手出版社K社の担当編集者とも、久しく会っていなかった。  なんの用だろう。過去の著作の増刷か文庫本化の決定通知ならありがたいと、老作家は思

    • ある日、老作家のもとに読者から聖母マリアの不思議のメダイが届いた

       初夏の薫りが巷に溢れるよく晴れた日の午後、六十三歳になる作家のもとに出版社から一通の封筒が届いた。ノンフィクション作家であり、建築設備会社の経営者でもある彼はここ数年、書き下ろしの新作を出版していない。最後のベストセラーは三年前に遡る。封筒の送り主である大手出版社K社の担当編集者とも、久しく会っていなかった。 なんの用だろう。過去の著作の増刷か文庫本化の決定通知ならありがたいと、老作家は思った。少し厚みのある封筒を目の前に、根拠のない淡い期待を抱くほど、会社の経営状態が悪化

      • 聖母マリアの秘密

         神は万能だといわれる。  この世を造り、ひとを創った。  だが、彼女は自らひとだと告げ、  だから神の代わりにわたしにも奇跡的な現象を示すことができるという。  なぜなら、神はひとを創ったあとで、  その運命にまったく関わっていないからだ。  ひとだからこそ、ひとにその大いなる力をおよぼせるのだと説明する。  「神はこの世を造り、人を創ったが、ひとを創ったあとで、その運命にまったく関わっていない」  このマリアの言葉は、キリスト教徒が信じる「神」のイメージとはまったく相容

        • マリアのつぶやき

          事実を見る 真実を識る なぜそれをおそれるのですか わたしはあえて現世のご利益も あらゆる不幸を取り除く 恵みを あなたに与えましょう あなたがたを造った 神は そのあと あなたがたに まったくかかわっていません あなたがたは努力をしていない あなたがたには誠意がない 我が子を痛め 愛さないことが いかに重大かすらを 考えることさえもせず あなたがたは心を失い その痛みさえ感じなくなっています あなたがたは 神をつくり その神をうやまえば それで救われるなら なにもい

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        不思議のメダイに隠されたメッセージ

          イエスとマリアの絆

           「わたしたちは   遥かなる時空を超え   いまだに哀しみと   愛を求めあっています」  なにかがはじまる。真中にはその予感があった。イエスはやがて悦びを表現するようになり、生母マリアに向かってなにかを訴えているのがわかった。  「わたしは我が子を   神の子として育み   辛く悲しいその想いに   今も苦しんでいます」  その姿になってから半月後。第五の驚くべき奇跡は起きた。  よく晴れた夜空に満月が浮かび、  鮮やかな赤みを帯びて、橙色に輝いていた。  時間は深

          イエスとマリアの絆

          月夜にイエスが現れた

           真中には毎晩、寝る前に外に出て、夜空を眺める習慣がある。若いころから続けている習慣で、たとえ原稿書きに没頭し、深夜三時を回っても、零時前にベッドに入るときでも、必ず外に出るのだ。  すぐ先の雑木林には、高さ二十メートルほどの楠の木が立っている。あの奇跡が起きるしばらく前から、先端の枝葉が奇妙な形を見せていることに、彼は気づいていた。  ある夜、人影が己の片手を前方に差し伸ばし始めた。敬虔な信者たちに向かい、恵みをと、宗教画で見る聖母マリアがよくやる慈愛に溢れたポーズに見えた

          月夜にイエスが現れた

          最期の瞬間は誰も苦しんでいません

          ひとは弱く ひとはもろい だからベストを尽くしなさい 心に悔いを残さないために あなたは必ず救われるでしょう 今を大切にしなさい 幸せに生きることです 次のためにも 心を大切にしてください あなたの健康の鍵は 心にあるからです わたしは あなたがたの幸せのために その願いをかなえようとしています わたしは何も求めません ただあなたは 本当の心で願えば よいのです 信じなさい わたしが欲しいのは あなたの真摯な想いだけです 誰かのためにという あなたの強い愛情が わた

          最期の瞬間は誰も苦しんでいません

          聖母マリアとの対話

           「あなたは事実を   しっかりと見つめ   その真実を知ることです」  これが最初に感じた彼女の言葉だった。  ある夜、真中がいつものようにワープロに向かっていると、突然、この言葉を感じたのだ。脳裏に閃いたと言うほうが正しいかもれない。なにが起きたのかわからなかった。意味が理解できなかったのだ。もちろん最初は、病気や加齢が原因の幻聴かと我が耳を疑った。病院で検査しても異常なし。いたって健康体だと太鼓判を押された。  真中はやがて一方的に言葉を感じるのではなく、マリアと対

          聖母マリアとの対話

          山手資料館の聖母子像画

           彼女の真の容姿だけでも知りたい。真中は名画といわれる絵画から、そのヒントを得ようと考え、数十点もの作品を集めてみた。どれもピンとこない。大半が幼いキリストと共に描かれている。名画の中の彼女は、どれもこれも真中のイメージとは違っていた。なかには、聖母の崇高さや優美さすらなく、不気味でグロテスクなものさえあった。  真実の顔をと言ってみたところで、マリアは二千年も前の女性である。当時の状況を考えると、本物の顔や姿を描いた肖像画が存在するはずがない。  そこで真中は今までに得た自

          山手資料館の聖母子像画

          聖書の中のマリア

           この年の六月頃、真中はマリアのもたらす奇跡について書こうと決心していた。彼女の意思でノンフィクション作家を選んだからには、「書かれることを望んでいる」のだろうし、書くべきテーマを失っていた作家にとっても、それが自然のなりゆきに思えたのだ。  そのためには、「いったい彼女はどのようなひとだったのか」を知らなければならない。ヨセフという大工の婚約者がいたらしいのだが、彼女の経歴はあやふやで、どこで生まれ、いくつでキリストを生み、いかにして迫害や追及の手を逃れていたのか。ほとんど

          聖書の中のマリア

          私はただのマリア

          神にではなく あなた自身が心を穏やかに 平穏に生きて 幸せになりなさい 事実を見つめ 真実を語る勇気を持ちなさい そのためには 聡明さが必要です 神があなたにすべてを与えています 素直に それを生かせば なにも危惧することはありません 事実を見つめ 真実を見極める心さえあれば 神の仕事を信じなさい なにをおそれるのですか わたしは聖母ではありません ただのマリアです あなたはそう呼んでください わたしは聖母と呼ばれても けっして振り向かないでしょう 不幸なひとなど

          私はただのマリア

          シスターの憔悴

           シスター・アン粟津は憔悴しきっていた。それに悩んでもいた。 あの夜、夢で見た聖母マリアの姿が、脳裏に鮮やかに蘇ってくる。気品の漂う崇高なそのお姿はあまりにも神々しく、実に感動的だった。  いまだに彼女はそのときの感激を思い出すと、自然に体が震えてしまう。一生に一度でいい、なんとかマリア様のお姿を見たいものだという願いが、ついにかなったのだから。  シスターがあえて世俗のすべてを捨て神への奉仕に捧げる人生を選択したのも、ひとえにいつかマリア様に出会えるのではという想いからだっ

          シスターの憔悴

          横浜外国人墓地に建つ白亜のマリア像

           次男の死にショックを受け、もう二度と子供は作らないと誓い、不妊手術を受けた。このときの彼には、ほかにつぐなうべき方法を思いつかなかったのだ。  新たに親となる資格など、自分にはない。克彦の心に突き刺さった悔いの痛みは、その後も四半世紀にわたり、決して晴れることはなかった。  やがて長男に初孫のカツヤが生まれた。その赤ん坊の顔を見たとき、あの子の生まれ変わりだと、克彦は直感した。夢にまで見たあの子が、そこにいる。元気でとても幸せそうに、にこにこと彼に笑いかけてきた。嬉しくて涙

          横浜外国人墓地に建つ白亜のマリア像

          失った時は二度と戻らない

          いとおしさの哀しみを 感じないひとに 真の幸せのないことを 伝えなさい 神はあなたがたを創ったが そのあとは まったく関わっていません あたかも かかわっているかのように説くのは 神を欺く行いです そこが天国かどうかは この世でのあなたの人生の再現だと いうことです 神はあなたがたを造りはしたが そのあとは まったく関与していません 死は絶対であり 神の与えたあなたがたの運命の中で 最も公平なものです 神はそこからすべてが始まると 考えられました わたしはその運命の

          失った時は二度と戻らない

          我が子の死

          「もうこの子はダメだ。どうしようもないのだ。あと一年しか生きられないこの子に、わたしはどう接したらいいのか」  苦悩の日々が続いた。週に数回の病院通いでさえ、会社の社長は渋い顔をしている。このままではクビになりかねない。元気で将来のある長男と愛する妻のため、今の仕事を優先するか、あとわずかな命しかない次男を取るのか。克彦はその岐路に立たされていたのだ。  克彦は進次郎を見捨てた。 「生きるため」、「生活のため」という口実で自分を納得させ、長男と妻との生活を選んだのだ。  本当

          難病の我が子

           建設会社に就職し、社会に出るとまもなく、次男が誕生した。力強く育ってほしいとの願いから、〝進次郎〟と勇ましい響きの名前をつけた。ところが、なぜか進次郎は日を追うごとに縮んで小さくなっていく。徐々に泣き声もかぼそくなり、弱っているように見えた。妻が悲しげな声で言った。 「あの子は早産で未熟児として生まれたでしょ。わたしたちには、あの子が自分の生命力でちゃんと育つかどうかを見守ることしかできないの」 「病気ではないのだろう。何かできることがあるはずだ」 「どうしようもないのよ。