誰が聖母マリアを葬ったのか 前編


第1章 不思議

「資金を出すのはよいが、絶対に儲かるのか」
 マツイは会場前に居残る出席者のひとりに、こう念押しされるやいなや顔色を変え、冷汗を拭った。
「認可されたら役人の天下り会社とうまくやっていくとの誓約書を提出しているので、その点は確実です」
「それはおかしい。彼らと対決し、彼らが独占している不当な儲けを奪うのが最大のテーマであることは、わたしが書いた設立趣意書にはっきりとうたっている。それを当の役所と裏取引をしてどうするのか」。真中克彦は松井の発言に耳を疑い、大声を上げた。
「そんな趣意書があるとは知らなかった。なにがどうなっているんだ」
別の出席者から詰問されたマツイも急に声のトーンを上げ、
「この事業は自分の発案であって、この人とはまったく関係がない。だから趣意書なんかどこにもないんだ。いいじゃないか、認可されるためなら、どんなことでもやるべきだ。もともと彼はただのオブザーバーであって、今日の会の講演者にすぎない」
 と、早口でわめき散らしたのである。

 真中はその日、名古屋にいた。役人批判をテーマに作品を書き続けてきた真中は、建設省(現国土交通省)の天下り会社を痛烈に批判していた。
この天下り会社は、公共工事を落札・受注した中小の建設業者に保証書を発行し、もしその業者が倒産するようなことになれば、損害を業者に代わって発注元のお役所に弁済する役割を担っている。公共工事費として支払われるお金は国民の税金であるから、万が一に備えた保証制度が必要というのが表向きの理由だ。
 だが、制度ができた昭和二十年代後半(一九五〇年代)の、中小・零細企業が資金調達すらままならなかった時代ならともかく、すでに役割を終えた制度であった。しかも、建設省のお役人たちは自らが主導して天下り先となる保証会社を設立して民間損保会社の仕事を奪ったあげく、中小の建設業者からは半ば強制的に保証料を受け取る仕組みを作り上げていたのである。
雑誌やテレビを通じて、会社組織を隠れみのにして国費をむさぼるこの理不尽なシステムを直ちに廃止しろと、真中は主張していた。デビュー作で告発した東京都庁の官製談合を皮切りに、約八年間にわたるお役人批判の最後の目玉として、このプロジェクトに全精力を傾けていたのである。
しかし、傲慢な役人たちは真中の主張になど聞く耳を持たない。
「戦後四十年も続く制度なんだから、いまさらどうしようもないでしょう。そんなに止めたいのなら法律を変えてくださいよ」とうそぶくばかり。反省するどころか開き直り、制度を改めるそぶりすら見せなかった。真中はキレ、彼らと同じ土俵で戦うことを高らかに宣言した。
「よし、毒をもって毒を制すだ。自分で会社を作ろう。その会社を利用して奴らのふざけた会社と張り合い、儲けをむしり取ってやる」
 六月のある日、大学の同期で、元新聞記者のマツイと名乗る人物が真中の自宅兼事務所を訪ねてきた。「雑誌を見た」と言うと、こう申し入れてきた。
「あなたが提案する設立趣旨には大いに賛成だ。ぜひとも設立総会を自分に準備させてほしい」
異存はなかった。会社は東京でなくても構わない。役人たちの儲けをむしり取ることが重要なのだ。そして設立総会を九月十一日に開くので、名古屋に来て講演して欲しいと頼まれていたのである。
 旗揚げ総会当日の二〇〇〇年九月十一日、真中は妻とふたりで名古屋に到着した。空はとてもよく晴れていた。京都から別件で駆けつけた知人との打ち合わせを済ませ、総会の会場へと向かった。雲は濃くなっていたが、まだ雨は降っていない。
 いざ会場に着くと驚いた。マツイから説明されていた話は眉唾もので、「いかに確実な儲け話か」の説明がほとんど。マスコミへの露出が多い作家の自分を広告塔にして人を集め、実態はマツイが経営する会社への出資金を募る勧誘が総会の大半を占めていたのだ。
 会社設立にはそれなりの資本金が必要だったから、出資金を募るのはいい。建設業者の端くれでもある真中だって、儲け話は嫌いではない。しかしだ。あくまでこのプロジェクトの狙いは、役人たちが独占する不当な儲けを横取りし、彼らの鼻を明かすことにある。儲け話でなければ人も資金も集まらないが、その志がなければ奴らと同じ穴のムジナになってしまう。真中はマツイに不信感を覚えながらも、気を取り直して会社設立の趣旨と目的を必死に説明した。
 ほんとうにわかってもらえたのだろうか。真中が不安な気持ちのまま会場の外に出たとき、真っ暗な空から豪雨が降り注いだ。まさに風雲急を告げるというのはこのことだった。「一〇〇メートル道路」と呼ばれる市内中心部の大通りを濁流が逆巻いて流れ、会場のエントランス前には濁流止めの土嚢が築かれようとしていた。
 真中はあらためてマツイを問いつめた。おおぜいの総会出席者が居残る中、奴はなにかに取りつかれたように本音を口走り、それに狼狽するとさらに自身の企みを見せつけた。隠そうとすればするほど、本心を暴露し続けたのである。あまりのおかしさに、真中は腹を立てるのも忘れ、バカバカしくなって笑うしかなかった。もうこの話には乗れない。観測史上初という豪雨がすべてを水に流してくれたのだと思い、自分を納得させたのだった。

 翌朝の新聞やテレビは、前夜に名古屋周辺を襲った豪雨被害の記事でもちきりだった。どこもかしこも水害で鉄道は寸断され、家々は水没している。
真中夫妻は時間を持て余していた。午前中に予定していた名古屋ドーム見物は当然、中止する羽目になり、その他のめぼしい観光地もすべて臨時休業となっていたからだ。あちこちに電話をかけまくり、市内で一カ所だけ平常通り開いている徳川博物館をやっとの思いで探し出した。
 この日の催しは、当時放映されていた大河ドラマにあやかり、葵三代をテーマにした徳川家の所蔵品が展示されている。真中夫妻はガイドの案内に従い、江戸時代の豪華な衣装や道具に見惚れながら館内を巡っていた。やがて最後の展示部屋へたどり着いたとき、彼は一行から離れ、なにげなく近くのガラスケースを覗き込んだ。息を飲んだ。
間違いなくそこには二カ月前、突如として見ず知らずのシスターから届けられた、

あの不思議のメダイが

 三個も並んでいたのだ。真中はあわてて解説文に目をやった。
「水戸徳川家所蔵品。江戸時代末期に藩内で収められたものと思われ、携帯用の祭壇と共に倉から発見された」
 あのチャチなメダルに、こんな歴史的な事実が秘められていたとは。彼はただ茫然と立ちすくんでいた。その場からようやく逃げ出すと、廊下の喫煙コーナーへ直行し、心を落ち着かせようと立て続けにタバコを吸った。
「あなた大丈夫? 顔が引きつっているわよ」夫の異変を察して駆け寄った妻が声をかけた。
「だい……じょうぶ…だ」
 足が震え、全身に寒気を覚えた。もういちど見る勇気はなかった。真中はただただ動転し、なにかに追われるように、ひたすら帰ることだけを考えていた。
 東京に戻ると、体調はすぐに回復した。元来が好奇心の強い性格である。真中はがぜん名古屋の徳川博物館で見たメダルに興味が湧き、徳川博物館に電話を入れて、その由来を尋ねた。
「あのメダルは当館の所有物ではありません。水戸博物館から今回の催しのため借りたものです。詳しいことはそちらで聞いてください」
 水戸の徳川博物館に電話をかけなおした。
「一八〇〇年代の後半、明治時代になって、徳川家の倉を調査した際にたまたま発見されたものです。ですので、いつどこで誰からという詳しいいきさつはわかっておりません。おそらくは携帯用の祭壇があったことから、隠れキリシタンの宣教師を捕らえたときに手に入れたものではないでしょうか。メダルの材質は銅板でマリア像や文字が彫られています」
「ぜひまた見たいのですが」
「残念ながら、あのメダルは常設で展示されているものではありません。今回は特別に名古屋の催しのために貸し出したもので、今のところ、次にいつ展示するのかは未定です」
 真中は悟った。あの日がメダルを目撃できる唯一の機会だったことを。再び、あのとき感じた寒気を覚えた。
 前日の豪雨がなければ、この地を訪れることはなかった。名古屋には数回来ているが、徳川博物館の周辺には他に見るべきものがなく、ついつい後回しになっていたのだ。今回も当初は行く予定がなかった。
 だが、そのためにはマツイが真中をだまして名古屋に連れ出し、さらには未曾有の豪雨に襲われなければならない。こんな偶然が重なるとは考えにくいが、偶然を認めないと今度は、シスターから贈られたあのメダルを彼に対面させるべく、何かの力が働いてあの場所に導いたことになってしまう。無神論者であり、超常現象を否定する彼には、どちらもありえない理屈に思えた。

 不思議な現象は名古屋だけでは終わらなかった。その翌月、真中はまたも合理的な説明のつかない出来事を体感したのである。
 真中は毎晩、夜遅くからワープロに向かい原稿を書きはじめる。翌日に、仕事で朝から出かけるときは、どうしても午後の昼寝が欠かせない。その日も午前中の仕事を終えて帰宅し、昼食を済ませると、いつものようにベッドに潜り込んだ。
 一時間ほどで目が覚めた。その瞬間である。突然、中年女性のしわがれ声が聞こえた。
「砂糖を二杯も入れていると、死ぬわよ」
 まったく聞き覚えのない、かなり年配らしい女性の声で、どちらかというと悪声に近い。もちろん、妻の声ではない。いったい誰の声なんだ。真中は飛び起き、急いであたりを見渡した。
 妻と二人暮しで、彼女が出かけているのだから、誰かがいるはずもなかった。念のためにと家中を探しまくり、まわりに誰もいないことを確かめた。それほど、あの声がはっきりと耳に残り、気味が悪くてたまらなかったのである。
 幻聴なのか。いや、違う。還暦をすぎた老作家とはいえ、今まで幻聴を聞いたことはない。ひょっとして聖母マリアなのか。いや、違う。彼女が日本語で語りかけるわけがない。第一、野卑で下品なしわがれ声は、とても聖母のものとは思えなかった。
 女性の警告が意味していることは、すぐにわかった。真中はかれこれ四十年くらい、自分で作ったカップ六、七杯のアイスコーヒーを毎日欠かさず飲んでいる。作り方はまずカップにスプーン二杯のインスタントコーヒーと、同じくたっぷり二杯の黒砂糖を入れる。ミネラルウオーターで溶き、氷をいくつも放り込んでよくかき混ぜる。夏でも冬でも、朝からこれを飲まないと体が動かないし、頭もはっきりしないのだ。ブラックや一杯分ではうまくないし、胃に負担がかかってダメなのだ。何度かは歯に悪いからと、砂糖抜きで試してみたが、とても飲めたものではなかった。
 老作家の生活に欠かせない習慣に対して、不気味なあの声はあきらかに「死ぬ」と警告していた。
 半信半疑のまま、台所でさっそく自前のアイスコーヒーを入れた。いつもとは違い、砂糖一杯にして。
「うまい」真中は自分の味覚を疑い、何度も飲みなおした。やはりおいしい。まずいはずなのになぜだ。
 数ヵ月後、体重が減ったことに気づいた。半年後には、身長一七〇センチで、七十キロを超えていた体重が六十三キロに落ちていた。その間、いかなるダイエットもしてはいない。からだを壊したわけでもなく、食欲も落ちてはいない。ごく自然のうちに、七キロもの減量に成功したのである。考えられる理由はただひとつ。コーヒーに入れる砂糖の量を半分にしたことだけだった。
 真中の身に思わぬことが起きた。四十歳ころに発病した「掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)」という奇病が治ったのである。
この奇病は手のひらと足の裏が赤くほてり、そこにブツブツと発疹ができる。やがてその部分の皮がベロリとむける。痛くもかゆくもないのだが、なにしろ、その症状が絶えず繰り返す。発病したてのころには、このまま皮膚がなくなってしまうのではと本気で心配したくらいだった。
 不安を取り除きたくて、何件もの病院をはしごしたが、原因不明で治療法も完全には確立されていなかった。二十年以上前の医学書には、治療法はないと書かれていたように記憶している。あるドイツ人医師が、歯に被せた金属かタバコが原因と指摘していたが、それとて説のひとつにすぎなかった。
確実な原因ではないのだからと理由をつけ、ついぞ禁煙はしていない。コーヒーを飲むより長くたばこを吸い続けている。だから死ぬまで治ることはないだろうと覚悟していた。
 その病気がアッという間に、しかも完璧に症状が消えてしまったのだ。医学界が解明できなかったこの病気の原因は、彼の場合に限って言えば、砂糖の過剰摂取にあった。診察した医師たちは、決まってタバコをやめろと言い、歯の金属を変えろと指摘した。しかし、コーヒーに入れる砂糖の量を気にした医師は誰ひとりとしていなかったのである。
 老作家はついに、あのシスターに手紙の返事を書いた。
 この世に偶然などない、必ず何か説明できる理由があるはずだと、真中は考えている。次々と我が身に起きた不思議な現象のきっかけは、お菓子のオマケ程度にしか見えないあのチャチなメダルである。だからどうしても彼女と会い、意見を聞く必要があったのだ。
「あなたはわたしに起きた現象について、どう思われますか。過去にもこのような体験をされたひとはいたのでしょうか。わたしは今これらの不思議な現象に戸惑いと混乱をきたしています。なんとか合理的な回答を得たいので、ぜひお会いして、メダイというものの詳しい由来やこれらの疑問にどうか答えてください」
 しばらくして、シスターからの返事が届いた。なんとか時間が取れるという。「ぜひに」とのニュアンスが感じられないのが少し気がかりだったが、真中はとにかく会って話すことだと腹をくくった。


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