修道院長の嫉妬

 シスター・アン粟津は院長室のドアをノックした。
「お入りなさい」
 威厳をともなった声が応えた。ドアをあけると中央のデスクに院長が、その傍らのソフアーに副院長が座って待ち構えていた。
「お帰りなさい。疲れましたか」
 形だけのねぎらいの言葉だった。タムラ副院長は黙ったまま、相変わらず意地のわるそうな目で、探るようにシスターを観察している。
「さあ、そこに座って」
 院長はことさら屈託のなさそうな声を装い、目の前の椅子への着席を勧めた。審問のときに座らされる椅子で、きちんと姿勢を正して腰をかけると、じき背中がしびれてしまうように作られている。
 シスターはつつましく歩き、気をつけて静かに背筋をぴんと伸ばして腰を下ろす。副院長は常にそこに座る部下の動作と立ち居振る舞いで評価を下すからだ。
「どうでしたか、そのひとの様子は」院長が待ち兼ねたように尋ねた。
「はい、とても礼儀正しく知的で、品のよい方でした」シスターは胸を張り、半分ウソをついた。
「そう、マリア様がわざわざその人を選ぶにふさわしかったのですね」
院長は念を押し、副院長はまだ疑わしそうな顔をした。
「はい。私にはそう見えました」
「いいですか。マリア様があなたの夢に現れて、その人にメダイを贈れと告げられたのですよ。もし、その人がマリア様の言われた方でなかったら、それはそれは大変なことなのです。間違いでは済まされないのですよ、よくおわかりですね」
 シスターは院長にくどいほど念を押された。さらに副院長が追い打ちをかけてきた。
「この問題はあなただけでは済みません。判断を誤れば、マリア様の怒りが下されます。あなただけでなく、この修道院も教会も本部もすべてが罰を受けるでしょう」
「はい。私は主イエスの名にかけて、あの方こそ、マリア様の選ばれた人だと申し上げます」

 フジモリ院長はシスターを帰すと、本棚の隠し扉からワインの瓶とグラスをふたつ取り出してデスクに並べ、たっぷりと注いだ。ひとつを副院長に渡した。
「今週末には東京の本部へ行って、この件を奇跡として報告します」 
「なんとなく危なっかしいところがありますが、彼女は嘘だけはついていないようです。なぜマリアがそんな男に、わざわざメダイを贈れと指示をしたのかだけが理解できません」
 副院長はワインをすすりながら、またも疑わしそうに首を振った。
「わたしはそこがこの件を真実だと認めた最大の理由です。彼女がマリアを見たとウソをつくなら、あんな本を書くような男にメダイを贈るようにと命じたなどと話すでしょうか。もっともらしく、やがて恐ろしい破滅が起きると言ったとウソをつく方が、ずっと楽だからです。わたしたちも、その点が納得できなくてくどいほど問いつめたのですからね」
「そうでした、あの東北のマリア出現は、単なる妄想でした。ほんとうなら、もうとっくにその兆しが現れていなくてはなりません。姿を見て言葉を聞いたという話はすべて偽りでした。あの年頃の娘は、よく憧れが幻想を生んでしまうのです」
 副院長の言葉を頷きながら聞いてきたフジモリ院長は、背をソフアーにもたせ目を閉じワインを舌で転がしてからゆっくりと味わうと、こうはき捨てた。
「あの娘はずっと誠実で真面目に仕え、その態度にも不審な点はありません。ただ、今回のマリアの指示を聞いてから、少し態度が生意気になり奢っています。それが許せません」


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