「あなたは事実を
　　しっかりと見つめ
　　その真実を知ることです」

　これが最初に感じた彼女の言葉だった。
　ある夜、真中がいつものようにワープロに向かっていると、突然、この言葉を感じたのだ。脳裏に閃いたと言うほうが正しいかもれない。なにが起きたのかわからなかった。意味が理解できなかったのだ。もちろん最初は、病気や加齢が原因の幻聴かと我が耳を疑った。病院で検査しても異常なし。いたって健康体だと太鼓判を押された。

　真中はやがて一方的に言葉を感じるのではなく、マリアと対話を交わすようになっていた。会話の手法は変わっている。まずは彼がある問いかけをワープロで打つ。するとそれにマリアが応え、彼に言葉を感知させるのである。
　夢中でワープロのキーボードを叩くときの意識レベル、おそらくは意識のサイクルが彼女と同調して、お互いの意思が通じやすくなるのだと、思う。文章に意識を集中すると雑念が消え、彼女の言葉を受け入れる条件が整うというわけだ。
　聖母マリアの言葉を聞くといっても、あくまで感知するものなので、やはり幻聴とは異なる。ただ、意識で感じるということは、一歩間違うとそれが、「彼女の言葉なのか、あるいは彼自身のものなのか」の区別がつきづらい。まして他人にとっては、まったくその違いがわからないのだから、判断のしようがない。
　あ、きたな。
　彼女の言葉が思考回路に紛れ込んでくる感覚が真中にはある。また、自分の意識が作り出した幻覚なのかとも考えたが、これも違っていた。
　マリアの言葉には、彼にも発音すらまったく理解できない言葉が混ざっている。己の潜在意識が彼自身に語りかけているのだとすれば、本人だけには意味が通じなければならない。
　多重人格とも異なる。ひとりの人間の意識に、いくつかの人格が存在する多重人格者の場合、一方の人格が現われているときの行動や意識を、別人格の登場時にはまるっきり覚えていないものだ。だが、彼女の言葉を感じる彼の意識は途切れたりせずに、しっかり記憶がつながっている。自分は完璧に正常だと、真中は信じていた。
　彼女からもたらされた興味深い言葉は、すでに記録しただけでも千以上ある。ありがたいとはいえ、あまりの多さにへき易することもある。なにせ最初は一度にせいぜい一つか二つだったものが、今では立て続けに十フレーズを軽く超えてしまうのだから。
　ときおり、意味不明のフレーズが混ざらなければ、真中は聖母マリアの言葉だと思い込んだまま、自分の考えを記録することもあっただろう。そうさせないよう、彼女はあえて理解できない言葉を混ぜている気がしてならない。