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例の自販機② - なんでコンドーム自販機を巡ってるのか分からない10

秋葉原の万世橋の近くにある異様な自販機コーナーの話、第2回目です。

私が秋葉原の自販機コーナーに引き付けられるのは、オーナーの老いを感じるからだ。それはそのまま、私が老いを恐れているのを意味する。

7年前に訪れた時は気づかなかったが、訪問を重ねる度に、社会情勢への怒りもお菓子に貼り付けられるようになった。この間行った際には下ネタよりも怒りの方が多かった様に思う。この怒りも年齢を重ねた男性によく見られる。年々頑なさだけを多く感じるようになった。

またオーナーは「楽しんでもらいたい」と自販機コーナーについて言っていた。私がその「楽しみ」に当たると思えるのは、ポップコーンの自販機と、子どもおもちゃ的な商品も買えるところぐらい。たが、ここのおもちゃのチョイスは、子どもに受けるとは思えない。
多分オーナーは自分が想像する範囲の行動をする子ども、具体的には小学校低学年までには優しく接するのかもしれないが、想像を超える動きをする子どもは苦手なのではないだろうかと勝手に想像し、これもまたオーナーの頑なさに繋がってしまう。

「楽しんで」の方向性が一方的過ぎたり、怒りをお菓子に散りばめたり、反応のしょうがない下ネタをばらまいたり。全部がちぐはぐで、全部意味が分からない。この理解の出来なさが私にはまだ分からない、老いの得体の知れなさを見せられているようで怖い。だけど見てしまう。

私が見た、あの自販機コーナーを取り上げたブログやYouTubeは、分からない、ヤバい等と言い、距離を取りつつ薄ら馬鹿にしている内容がほとんどだった。
馬鹿にしようとは思わないが、あの自販機コーナーを見たいと思う私の中に見下す気持ちはないだろうか。エンターテインメントにして無責任に消費しようとの気持ちはないだろうか。自分はこんな風な人間ではないと、より下の人間を見つけて安心したいだけではないのか。自分に問うては、全てにNoと言える自信がない。見たいと思う好奇心の底にあるものは、そんな醜い感情なのか。

秋葉原の片隅、あの自販機コーナーには、むき出しの人間性が自販機の形をして突っ立っている。私はそれを魅力とは言えない。
もし仮にこの文章をあの自販機のオーナーが読んだとしたら、分かったような口聞いてんじゃねぇよと私はガチで怒られるだろうと思っている。


【例の自販機コーナー ギャラリー】
※写真は撮影当時の状況です。

■秋葉原(2016年)

■北千住(2017年)

■竹ノ塚

■足立区1

■足立区2

■築地

■秋葉原(2020)

■秋葉原(2023)

■北千住(2023)

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