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思い起こせばあれが最後だった

毒親に育てられた夫と暮らす妻
幸せパンダです。
母は60歳を過ぎた頃から毎年自分の
結婚記念日の月に1人で富士山を
見に日帰り旅行をしていたのですが、
母も年だからと思い1度私が一緒に
ついていったことがあるのです。

新幹線で最寄り駅に着きホームで富士山を
見て、神社にいったりランチをしたり
して、富士山の近くまで移動するのかと
思っていたらもう帰るというので、帰りの
ホームでまた富士山が見えるかなと思って
いたらすっぽり雲に隠れて見えません
でした。
富士山って結構雲に隠れることが多いそう
ですね!
帰りに母がもう来年は一緒に行かないよと
いうので、私は少し悲しかったですが、
母は1人で旅行をすることが好きなのだと
思い、わかったと伝えました。
それから数年たった時に発覚したことですが
あの時、母は旅行中にずっと心配で
たまらないことがあり、私にもう一緒に
行かないよといったことがわかりました。


それは富士山が旅行中に噴火したら
どうしようと本気で心配していたから
旅行を楽しめていなかったということです。
テレビか何かで富士山の事を特集していた
のを見た影響なのかもしれません。
私は旅行中にたまたま噴火するなんて奇跡
だし、それで死んだら本望なんじゃないの?
と聞くとわたしはいいけれど、あんたが
死んだらあかんというのです。
私にもこどもがいるので心配してくれる
気持ちは嬉しいですが、悪いけれど大笑い
してしまいました。
たまたま旅行中に富士山の噴火にあって
それで死ぬなんてどんな確率のことを
気にしているのだと思い、そんな気持ちを
なんでその旅行中に教えてくれなかったの
かと伝えました。
母は心配性ですがこれほどとは思って
いませんでした。

これから心配性が更にエスカレートすると
思うと先が思いやられますが、あの時一緒に
日帰りでも旅行をしておいてよかったなと
思います。

一方、父とは旅行にはいっていませんが、
若い時からお酒が好きで、今は肝臓が弱く
なりお酒を飲んではいけない体になって
しまいましたが、数年前に父と2人で
居酒屋に行きました。
行きつけのお店に行き、普通に話して
お酒を飲んだだけですが、父が店の人に
俺の娘だと嬉しそうにいっていた顔を
今でも思い出します。
両親が年をとり思えばあれが最後だった
ということはだんだん増えてきていますが
最期に私が後悔しないように両親にできる
だけ何か喜んでもらえることを考えて
実行にうつし、自分の為に頑張ります。

最後に自分が友達と遊ぶ時も今日が最後
かもしれないと思いながら遊んでいます。
それは悲しいことではなくて、最後だと
思ったらいろいろな話ができるし、最後
だから楽しもうと思うしいい思い出を
作りたいと思うからです。
最後だと思ってもまた遊ぶことができたら
それは最高に幸せなことで最後だと思って
いたらまた会えたラッキーって思います。
それが続けば更に幸せです。
夫ともそういう風に思うことができたら
夫婦関係ももっと良くなるのになと思い
ますが、どこかでずっと一緒にいられると
安心しているところがあるのでなかなか
そんな新鮮な気持ちにはなれない自分が
います。

ただ友達と遊ぶだけでそんなこと考えられ
ないと思うかもしれませんが、人生何が
起こるかわからないし、友達が先に結婚
したり、急に介護がはじまったり、病気を
したりこの先のことなんてわからないので
今を楽しむ為に最後だと考えることは
今日1日を心に刻む為の魔法だと思って
います。

心に刻まれた楽しい思い出があればあるほど
最後に笑えるのではと信じながら今日も
最高の1日を過ごします。





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