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【チームatを選んだ理由〜富士通コミュニケーションサービス株式会社 倉方慶子さん〜その❷】atさんは私の戦友!無形の価値の伝え方を一緒に考え抜いた

この記事は、こちらの続編となります!
【チームatを選んだ理由〜富士通コミュニケーションサービス株式会社 倉方慶子さん〜その❶】atさんには地元福岡で女性活躍のリアルな実績があった

(3)at×「ワタシすまいるプロジェクト」との共創

-2017年に「ワタシすまいるプロジェクト」が始まったわけですね。

今年で「ワタシすまいるプロジェクト」は7年目になります。「ワタシすまいる」の名称も、寺島さんや阿部さんと一緒に考えました。わたしって、女性だけじゃない、いろんなわたしを含めるとカタカナの方がいいね、とか。スマイルもあえてひらがなにしよう、ロゴとか色とかどうする?って一緒に考えました。今考えると、すごく楽しい創作活動でしたね。社内でも最初はなんじゃそれって感じでしたが、今では、「ワタすま」といえば、ダイバーシティ推進活動だって繋がるようになってきたことが、嬉しいですね。

―7年前は、まだ社会全体が、女性が出ると叩かれる時代だったと思います。atの2人も、その風潮と戦ってきた二人なので、共感できる部分はあったのではないですか?

社長からも言われたのですが、男性はよく「話はわかった。予算はつけるけど、1年後の売上と損益にいくら繋がるか話して」と数字で語ろうとする傾向があります。でもワタシたちは、数字ではない、数字には現れないことに価値を置いています。その無形の価値をどう伝えていくのかという点を、atさんとは一緒に熱く議論し合いました。やりがいとか、働きやすさとか、魅力。これらを、どうやったらみんなに伝わり、そのために何をすればいいか、どこを狙ってそのためにどうする?みたいことを、深く、熱く考えましたね。

―at×「ワタシすまいるプロジェクト」の中で、一番記憶に残っている出来事は何ですか?

対外的に知ってもらう良いきっかけになったのは、ワタすま活動が2019年に、富士通コミュニケーションサービス社として「カスタマーサポート表彰制度」で優秀賞を受賞したことです。全国レベルで「ワタシすまいるプロジェクト」のプレゼンをすることができ、活動の知名度がうんと上がりました。授賞式にはatさんとも一緒に参加し喜びを分かち合いました。

授賞式にて
プレゼンをする倉方さん
受賞盾

―活動開始後、2年間での成果と受賞で、周囲からどんな反響がありましたか?

まず、多くのコンタクトセンターの会社から、「すごい目線ですよね。なぜそれができたのか、どれほどの予算を使ってどんな体制だったのか」と聞かれました。ワタシたちはまず、この活動に専任の推進体制を組んでいません。当時女性活躍推進事業といえば、各社ほぼ、社長からのトップダウン方式で行っていました。でもワタシたちは、自分たちからやりたいと手を挙げ、自分たちの手で進めたいという現場発の活動だった点が特徴でした。活動の推進員は、事業部のビジネス活動と兼務してやっています。だからこそ、現場目線でいろんな施策を進め、それぞれの「ワタシ(ママスタッフ)」に寄り添い、達成できたのではと思っています。これが各社さんにすごく響いたみたいで、その後、職場見学会のご要望をたくさん受けました。その現場を見たい、協議コラボをさせて欲しいと言った声をいただき、ワタすまの認知度が一気に広まりました。

―社内では、周囲をどうやって巻き込んでいったのですか?

女性のみならず男性も巻き込みましたが、当社は決裁権を持つ方は男性が多く、抵抗色を示すのも男性でした。どこを目指しているのかというゴールをしっかり伝えていくことが大切でした。こういう世界を目指してワタシ達は進むから、やらせてほしい、やらないですか?と誘いましたが、当時やりたいという男性はほぼゼロでしたね。苦しい時に、atさんと一緒に戦ってきました。

―時代の背景と様々なバイアスがかかってのことだったのでしょうか。そんな苦難を乗り越えて、今や5拠点で展開中ですね。

最初に活動した黒崎センターを「長女」とすると、「次女」に仙台センター、「三女」に松山センター、そして「四女」にオンサイト二子玉川。今回新たに、黒崎センターのサテライトオフィスである小倉センターが「孫」として始動。一代家族が出来上がりました。感無量です。

(4)atのコンサルがもたらした変化

―atのコンサルティングでは、伴走から自走を目指すスタイルです。atが関わったことで、プロジェクトはどのような変化を見せましたか?

コンサル会社さんによくあるのが、そのノウハウを独占して見せない、渡さないことです。ただatさんの場合は、本当に最初は伴走です。自分たちが決して表に出ることはしないけれど、一緒に考えて背中を押してくれる。こうやっていったらいいんじゃないか、これいいよねって寄り添いながらも、段階的にワタシたちが自走できるように、いい意味でフェードアウトしていく。そこが、人間力も含め、他にないatさんの強みだなと思いますね。

ワタシたちが自走できたからこそ、「長女」黒崎センターの子ども、つまり「孫」と位置づけられる小倉サテライトでもこの活動を開始することができました。
それでもそこに満足しこだわることはないから、次のフェーズに自然と目が向きました。
ワタすまターゲット人財も、最初はママからスタートし、次第に卒ママ、アクティブシニア、学生、フリーランス、障がい者、外国籍…と進化させてきました。
伴走から自走できた部分は、現場のスタッフにしっかり任せる。そしてその次のターゲット人財向けの未来を切り拓いていくところに、またatさんがいてくれて、一緒に考えてチャレンジすることができています。まさにそれが、atさんとの共創のカタチですね。それがすごく楽しくて、ワクワクします。

―自走できた後、組織はどんな風に変わりましたか?

ワタすま活動を初めたばかりの頃、社内で見向きもしなかった人たちに、「今や広告を打たなくても採用できますよ」という確固たる実績が証明できました。全社4,500人ほどの全部門の中で、口コミや友人紹介で採用を達成した実績は、「ワタシすまいるプロジェクト」が全社ダントツのトップです。なんと家族が家族を連れてくるのですよ。一番信頼を寄せている家族が、息子やお婿さんなど自分の家族を連れてくる。それこそが、最高のブランディングだと思っています。社内でも、ブランディング活動がもたらす価値が認知され始めていることは、手応えがあります。

―atがずっと言い続けてきた「女性の幸せは、みんなの幸せに繋がる」意味を、まさに体現してくださったように思います。

atさんは時流を読むお力もお持ちですね。今は社会がダイバーシティ推進に向かっていますが、外国籍や障がい者雇用も、ワタシの部門は全社トップの雇用率です。やり続けて初めて、カタチになるものですね。

最近とても感動したことがあります。先日初めて外国籍のママを採用しました。やはり最初は言葉の壁で色々な意味で苦戦しました。ある時、先輩社員たちが、彼女は、漢字は苦手だけどひらがなはしっかり読めるということがわかりました。それからふと気がつくと、オフィスには、ひらがな表記のネームプレートや掲示物が一気に広がったです。

外国籍のママのために作ったひらがなネームプレート実物

何も指示をされなくても、こんな風にスタッフ自ら行動を起こせるようになった文化こそが、数字には表れない、無形の価値そのものだと感じました。7年間やってきたことの宝というか証というか。最初はフルタイムしか要らないと言っていた風潮が、こんな風に変わってくれたのだと感動し、すぐにatさんにも聞いてもらいました。もちろん一緒に喜んでくれました。

ママだけでなく男性管理職も含め、全スタッフが、みんなでそれぞれの働き方をスマイルに繋げることをテーマにやってきました。有言実行が言わずとも身に付いていて、文化として出来上がっている。ワタすまが花開いていると思うと本当に感慨深かったです。

―atの二人をズバリ一言で表現すると、何ですか?

ワタシにとっては、本当にもう「戦友」です。いろんなものに対して、一緒に戦って切り拓いて進んできた戦友です。

(5)これからについて

―今後未来で、やろうとしていることがあればぜひ教えてください。

7年間を通して、いろんな有形の価値と無形の価値を生み出してきたので、今後は当社以外の会社さんにも、atさんと協業してこのワタすま活動を「売りたい(拡げたい)」と思っています。「孫」まではできたけれど、「親戚」も作っていきたいんです。他社さんと結婚(協業)して、魅力を伝えて、進化してきたこのワタすま活動の価値を見極めてもらって、拡げていきたいです。親戚だと直系ではない分、その親戚(他社さん)の家訓も大切にしながら、atさんと一緒に共創したいという夢があります。

―そう遠い未来の話じゃなさそうですね。なんかこの後もずっと一緒にいそうですね。

ワタシが定年を迎えたら、atさんに雇ってもらおうかなって思っています(笑)。スタッフTさんと同僚になっているかもですね。

―それは楽しみです!atが三人なるかもしれないですね(笑)

今日はお忙しい中、取材をさせていただき、ありがとうございました!!

<編集後記>フルタイムで働いてなんぼと思われていた時代。専業主婦時代が長かった私も、社会に遅れをとっていると感じたこと多々。それが今では、ママが活躍できる居場所や実績がたくさんある。取材を通じ、その土台を創ってくださった先人たちの苦労と戦いのドラマを見させていただいた気分でした。atの二人はパートナーなんて優しいものじゃない、共に戦ってくれた戦友だと言い切ってくれた倉方さんには、更なる未来を切り開くパワーがみなぎっていました。人生はマラソンだな。


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