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みんなHAPPYで、というエゴ

連休の最終日、晴れ。

いつもと変わらない時間に起きて、カーテンと窓を開ける。すかっとした深い青と、生い茂る濃い緑が飛び込んでくる。

寝室の窓が擦りガラスであることに気付いたのは入居後のこと。転居における数少ない盲点だった。窓を開けなければ外の景色を眺めることができない。しかし、初夏という季節を迎えて気がついたのは、ほんとうにいい天気のときには、その擦りガラスを通り越して色と光が部屋に差し込むということだ。

目覚めたときに外の景色を感じられることは、日々の生活の重要な要素だ。厳しい冬を越え、ようやく窓を開けていられるほどの暖かさがやってきた。季節は確実に巡っている。時間は確かに重なっている。薄いちり紙ほどの印象の残らないような時間でも、乗ったら沈み込むスポンジのように手ごたえのない時間でも、積み重なって歴史を作っている。ちょこんとそこに座ったら、少し沈み込むくらいのやわらかな時間を重ねて行けば、その期間を固く無機質なものと感じることは少ないのかもしれない。

イメージに寄りすぎてなにを表しているのかもよくわからないが、詰まるところ、「心地よく過ごしたい」ということだ。すべてそのためにしていることと言ってもいいだろう。

快適さを望むのは、大方どの種の生物でも同じことだ。ハムスターは与えられた紙くずやなんかで一生懸命に小さな巣箱の中を整える。カラスは民家からハンガーを運び巣の一部に変える。飼い猫はふわふわとした両手を交互に動かし、気に入る形に毛布を動かし陽の当たる場所に移動する。人間も、好みのインテリアで部屋を飾ったり、照明を変えたり、引っ越したりする。物理的な面だけでなく、楽しいシーンを作りだそうとしたり、苦痛を伴うシチュエーションを避けようとしたりもする。苦難をあえて避けようともしない場合でも、その先になにか希望を見ているのか、あるいは苦難にあることに慣れていて、もはやその「慣れ」という快適さの虜になっているのか。どちらにせよ、その個体にとっての快適さ、居心地のよさを得ようとすること、また、継続しようとすることは、命あるものの性であるのだろう。

整えたい環境のなかに、自分の関わる人々が快適でHAPPYであるように、というとんでもない規模の願いが発生する。フェイスブックのことを言ったなにかで、友達の友達は何千人というキャッチフレーズ的なものがあった。隣の人の幸福を願うとき、そこにはそのまた隣の人の在りようも影響するに決まっているのだ。手の及ばない範囲のすべてが影響する。友達の子どもが遠足だと聞いて「晴れたらいいね」と願うこと、知人の家族の健康を思うこと、恋人の良好な対人関係を望むこと、自分がなにかをすることですべてを変えられると思えばそれはエゴなのかもしれない。

よかれと思って、人のためにすること。誰かを守るために、仕返しという暴挙に出ること。信念や理念という名目で行われてきた数々の行い。きっと誰もが善意や正義やその人にとっての道徳により、正しいと思い、ときには少し疑問も抱き?命を燃やすように、あるいはひっそりと息をひそめて陰ながらにその行いをしてきたのだろう。その先に、新たな痛みがあったとしても。その傷は、次なる願いを生み、人はまた立ち上がる。

小学生のころに毎月届いていた、というよりも毎月親が買ってくれていた学研の付録教材に、「ことわざかるた」というのがあった。その中のひとつだけ今でもよく覚えている。「歴史は繰り返す」。楽譜に使われる”繰り返し記号”、その五線譜のなかには黒く太い字で”歴史”と描かれていた。そのことわざを、上手く表した一枚だった。

いちばんの敵は「考えなくさせるなにか」なのかもしれない。そういう重くてややこしい面倒くさい事柄について考えなければ、日々は軽く薄く、一見快適な暮らしとして味わえるような気がするのも、わからなくもない。ラフで気楽なそういう時間も、また宝であり、頭と思考を開放して身体の感覚に任せる時間は、生きる糧といってもいいくらいのリラクゼーションを創りだしてくれる。そんなふうに気持ちのいい時間に、誰もがいられる世界を創るためには、並々ならぬ踏ん張りと、強靭な心の筋肉が要るのだ。なにも考えなくていいような心地よさは、とんでもない数の考えとそれに基づく行動により生み出される。少なくとも、ヒト科の生物はそうなのだ。業の深い、われわれ人間のいじらしい懸命さを、人智の及ばない大きな存在は「それもエゴだよ」とジャッジするだろうか。

それでも、誰かが心地あることを願うことを心地よく感じるのならば、それは美しいエゴと言ってもいいだろう。本能と欲と願いの、他者と他者のそれ同士がぶつかるとき、摩擦が起こる。そこで発生する火花に目を眩まされることを受け入れず、起きてくることをとくと見て、深呼吸のあとに紡ぎだす言葉が、その人の在りようを形作る。

そんなことを思う平日の朝、きれいな初夏の光を受けて、仕事をする。一文字一文字に、一言一言に、そして人と関わる瞬間の、ミクロレベルの一点ごとに美しいエゴと願いを込めて、仕事をする。





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