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南島から宇宙を思う

旅客機は定刻に到着。

トランジットはない。

乾燥した大気に驚かされる。亜熱帯のその島ではとても珍しいことなのだ。

バゲッジクレームのガラス越しに、手を上げる友人の姿。

変わらない、愛らしい笑顔。

17年前、私たちは自然科学を学ぶ学校の同級生として移住したその島で出会った。彼女は強い生命力と繊細なハートを持っている。

残り数日で、彼女は職を離れる。研究機関に15年間勤め続けた後の決断だった。私たちは月に一度ほどの頻度で電話をしている。インターネットが発達して日常の瑣末な出来事から重大なアクシデントまであれこれ話しているので、久しぶりの再会だからといって目新しい話題は見当たらない。

まずは、その日のディナーについて話し合う。

私たちの会話の内容はかなり高い割合で食事にまつわるものだ。

「食事と食事の間に細く生きているみたいだ」と言って笑い合う。

観光らしい観光もせず、都市で会ったときと変わらない感じでいくらでも話していられる。

暑くも寒くもない気候のなかで、ミントゼリーとソーダ水の色をした水平線を眺めながらするそれはたまらなく心地いい。

申し訳程度の晴れ間と、固有種の季節外れの開花。

計画も予定もなく、ただ起こることを味わって楽しむ旅。

巡り合わせに身をまかせていると、偶然とも必然とも言えないような不思議な縁が蔓性の植物のように続く。

繋がり、深まる、人と人の関わり。白いビーチに伸びゆくグンバイヒルガオのよう。

二日目の陽射しは真夏のそれよりもずっとやわらかく、ティッシュ一枚の軽さで私たちを包んだ。さらさらとした砂浜に寝転び、まどろみそうになりながらけらけらと笑い合ってはしゃいだ。

そうかと思えば、まるで蟹を食べているときみたいに黙りこくって集中して、それぞれの愛機で、眼前の麗しい景色をすくい上げてはデジタルで焼き付けたりした。低い位置から撮るてのひらサイズのヒルガオの若葉は、潤んで輝く陶器の置物のようだった。

旅の途中、必ず一度は浜で寝転ぶことをしたいと思っていたので、その時間は実に満ち足りたものとなった。

その晩は、あいにくの気候。

雨天にかまけて、私たちはまたひたすら喋り続けた。

彼女の友人も交え、とりとめもなく、思いついては言葉にして、三人が三人とも強い個性を主張するまでもなく、ごく自然に、異様な盛り上がりを発していたのだろう。

ユニークで明るく、笑顔になるのをこらえきれない。

続行する翌日の雨天は、私たちに新しい親交の機会を与えた。

何軒かの選択肢から迷ったあげくに決めた洋食屋の扉を開けた友人は、嬉しく驚く声をあげた。先客は、昨晩の友人とは別の、彼女の話題によくあがる友人らだった。

彼女の物語の登場人物と現実に会えることで、私は刻一刻とその場に馴染んでいくのを感じた。広くとれば同年代の人々、強烈な個性が魅力となって辺り一帯に乱反射する。ランチのひととき、それぞれの奥深くから感じられる、美しい重み。相反するように放たれている虹のような光。引き付け合う存在と存在。

夕刻、

光が足りず撮影は難航。

空腹までのつかの間、宇宙にまつわる機関に足を運ぶ。

懇切丁寧な解説は、軽快さと笑いを含み、関心を深めてその時間を濃いものにしていく。恐竜時代から今までの間にたったの一秒しかずれないというその精密な機械。この国のほぼ端っこの南島のさらに郊外の、主張しないその森の奥、信じられないようなサイズの計測器は大きな音を立てることもなく、ひっそりと何億光年むこうの遥か彼方、遠い遠い宇宙の星を測定している。それも毎日。

帰り道、そしてベッドサイドで、彼女は星座と神話を語り、それに耳を傾ける私は、大地と森と海と空と、そして宇宙とそこにいる私たちを思った。

作り込まれた施設やぎっしりと詰め込んだスケジュールとは無縁の旅。そうなんだけど、精巧な機器や洗練されたデザインの人工物も、あっという間に心を動かしたりすることがある。

思いついて、準備して、出向いて、見て、聞いて、聴いて、感じて、味わうすべてのものが、次にはじめるおもしろいことを思いつかせる。

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