親子の最終(結)戦・1話
〜いつかくるその前に
幸せなお別れの準備を始めよう〜
【離れて暮らす親】
『ねー!今度の正月ってどーすんのー?実家帰るのー?帰るんなら早めに(航空)チケット取らないと帰れなくなるぞー?』ソファーでスマホをいじっていた旦那が大きな声で話しかけてきた。
『コロナも解禁になって帰省ラッシュ凄いんじゃないかー?』
『あーー……そうだねーー、どうしよっかなー』
洗濯物を干していた手を止めた。
じつはそろそろ決めないとと思っていたが、正直、今年は帰らなくてもいいかなと考えていた。
『年末は信介の部活の合宿や塾もあるし、大変だから今年はいいかなー』
『いいよね?去年ちょっと帰ったし』
『そう?ならいいけど』
私は夫と息子の三人家族だ。
二十歳のときに実家のある福岡から上京してきた。
あれから28年。
息子は中学二年生。来年受験生ということもあり塾が週1から週2に増えたばかりだった。
部活はバスケット部に所属している。
こちらは毎朝のお弁当作りや、土日の試合のサポートなどですっかり息子中心の生活になってしまった。
夫は同じ48歳。結婚して20年になる。
生まれも育ちも東京の生粋の東京人だ。
趣味はゴルフ。休みの日はほぼコースに行っていて、
近所のパパ友や、高校時代の友達と行っているようだ。
家にいるときもずっとゴルフの動画を観ている。
2020年のはじめ頃から新型コロナウイルスの大流行が始まり、まる2年ほどは引きこもり生活だったが世間もコロナに慣れてきて少しずつ緩和ムードになっていた。
この2年間帰省を控えていた人たちも、今年の年末は久しぶりに帰ろうかなんて話している人も多いだろう。
一時期は、感染者の多い東京から子が帰省してるなんて近所にバレたら『村八分』にされるくらいピリピリしていたが
何を隠そう私は昨年一度帰省している。
父が転倒して膝を骨折したのだ。
実家の近くに住む妹から連絡が来てすぐに帰った。
妹から送られてきた動画には左足を引きづるようにして歩く父の姿があった。
即座に思った。これは介護の始まりになる。
医者からは手術を勧められていると言うが、私は手術だけはどうしても避けたかった。
なぜなら、このコロナ禍での入院は家族ですら面会ができないため、認知機能が衰える可能性が高く、認知症発症リスクが高くなる。
さらに一定期間、人との会話が途切れることで顔の表情をつくる筋肉も衰え、見た目が能面のようになるだけでなく、咀嚼がうまくいかず嚥下困難になるおそれもある。
最悪それで誤嚥性肺炎で亡くなることだってあるし、長期間ベッドの上で大人しくしているうちに筋肉が減少しサルコペニアになるだろう。
そうなると慢性疲労と気力の減退も起こり、フレイル、そして要介護…
※サルコペニア…筋肉が落ち痩せ細ること
※フレイル…加齢により心身ともに虚弱になること
これは緊急事態だ!行って本人を直接説得するしかないと思い帰省したのだった。
なぜ私がそこまで考えたかというと
私は足腰を傷めた人を手技療法や鍼で治療するのが仕事で、膝の手術をされた患者さんの予後を数例じかに見てきたからだった。
手術をしてピンピン歩けるようになった人を1例も見たことがない。
むしろ逆で、前よりも痛みが増しむくみも酷い。
私には私なりの根拠があった。
そもそも膝が骨折した原因は、血行不良でスカスカになりもろくなっていた(骨壊死)からだ。
父は新聞配達をしていた。
前日の夜に降った雪の影響で路面凍結を起こしていたにも関わらず、バイクで行ってしまった。
案の定スリップしそうになり、それを足で踏ん張って止めたときに砕けた。
骨折がきっかけで要介護になる人はじつに多い。
骨が回復するまで室内で大人しくしていると、まず猫背になる。筋力が落ちる。
バランス感覚がおかしくなり、そしてまた転倒し、骨折する。
負の連鎖というやつだ。
なんとしてでも父をこの道筋から外さなければと思った。
私は急いで帰省した。
つづく
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