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Happy Women's Map 熊本県球磨郡 元祖「食の安心安全」「地産地消」下村婦人会創始者 山北 幸 女史 / The Founder of Shimomura Women's Association, Ms. Sachi Yamakita

‐下村婦人会

「女に相談してください。女は知恵がありますからどんな知恵でも出します。」
"Please consult a woman. Women have wisdom, and they will give you any wisdom."

山北 幸 (旧姓 井上 幸)女史
Ms. Sachi Yamakita / Inoue Sachi
1913 - 2013
熊本県球磨郡湯前町 生誕
Born in Yunomae-machi, Kuma-gun, Kumamoto-ken

山北幸女史は農業組合法人下村婦人会市房漬加工組合の創設者。
敗戦後の困窮する九州の農村で婦人会を発足、100%地元の素材でつくる「市房漬」で「食の安心安全」「地産地消」「女性の地位向上」の取組みを全国に拡大。
Ms. Sachi Yamakita is the founder of the Shimomura Women's Association. She established women's association in a rural village in Kyushu that was in poverty after the defeat in the war, and the efforts to promote "Safe Food",   "Local Food" and "improvement of the status of women" were expanded nationwide through "Ichihusazuke" made from 100% local ingredients.

「お金なしじゃ始まらない」
 幸は、球磨川上流の市房山ふもとの過疎の町に、地主の父・井上朋房、母・トモエの長女として生まれます。大勢の男衆・女集がいる大家族。祖父母にに可愛がられ「あるものを活かす」知恵と心を学びます。人吉高等女学校に進学。軍医・深松深を養子縁組の上で結婚、夫婦で満州に渡ります。太平洋戦争が開戦されると、子供を連れて帰国。敗戦後、耳鼻科・内科山北医院を開業。幸は看護婦・薬剤調整師・受付・経理として夫を支えます。戦後の混乱で貧しい暮らしが続く中、お金がないからといって子どもを病院につれてこない母親たちを叱り飛ばしながら、貧しい子供たちを温かく迎え入れます。闇市ででも薬を買って揃えなければならない幸は、盆また暮れにお金をいただきにまわるも、1円何十銭でも病院のお金が払えない人もあります。「お金なしじゃ始まらない」。学習用具にも事欠く子どもたちのために、幸は英語の辞書数十冊を熊本市内の緑書房や熊本書院の古本屋に求めて病院内に揃えます。

「はじまりは頼母子講」
 まもなく農地解放で農協が小作人と小地主に分裂、対立は子供たちにまで尾を引きます。幸は、地域内の和を取り戻そうと、女性達に呼びかけて毎月1日・15日に地区の公民館に集まって話し合いの場に設けます。100円・200円を持ち寄って集まったお金をくじ引きでもらい受ける「頼母子講(たのもしこう)」を始めます。次に、婦人達の話し合いの中から、生活改善資金づくりとしてモノづくりの発想が生まれます。はじめに、藁ほうき・シュロの葉のハエ叩きをつくり手分けして売って回ります。続いて、一握りの米を持ち寄った「握り米貯金」と、当番制で育てた養鶏卵を町に売りに行きます。さらに、不必要な生け垣を取り払って茶の栽培を行う一方、雑草が生い茂っていた庭を手入れして菜葉類・根菜類の栽培を開始、市房ダム建設作業員に売りさばきます。売上で、公民館の備品を揃え、子どもたちの滑り台・ブランコ・「仲よし文庫」図書館をつくります。

「市房漬」
 やがて減反政策で米作り農家は転作を強いられるも、野菜を作りたくてもかんじんの水が足りない。婦人会メンバーは野菜の収穫量を増やそうと灌漑用水路を整備。すぐに豊作貧乏で悩む中、収穫された野菜を加工しようと発想が生まれます。幸の家の物置小屋を作業場にして、ハダカムギと大豆を3升ずつ持ち寄って甕仕込み製法による味噌を造り、家庭から持ち寄った野菜を地元の焼酎と一緒に4斗樽2本に味噌漬けして町内また隣町まで売りに出かけます。町の産業祭の「ふるさとの味」コンクールに出品、審査員に素通りされ激怒した幸は役場にまで漬物を持ち込んで一等賞を獲得。リアカーを引いて隣村まで売って回ります。販売量が増加すると数年後には村から譲りうけた土地を漬物置き場に、さらに数年後には国の補助金を得て漬物加工場の建設を開始。さらに数年後には「市房漬」を商品登録します。その数年後には、熊本県と国土交通省の物産コンクールに入賞、そして第2回全国郷土特産展にて明仁皇太子・美智子妃(現上皇上皇后両陛下)が商品をお買い上げ。幸は婦人会メンバーと飛行機で飛び回って、首都圏また関西の物産展・デパートなどでの展示販売をはじめます。婦人会の収益で会員たちを専属的に雇用して給与を支払い、漬物加工施設の備品・什器を拡充、農業組合法人下村婦人会市房漬加工組合を設立します。

「食の安心安全」
 郷里出身の衆議院議員・福永一臣の夫人・美津子(斎藤美津子)の推薦により、季刊誌『暮らしの手帳』で「市房漬」の特集が組まれます。地元農家から買い取る無農薬の大根・人参・胡瓜・生姜・茄子・高菜などを地元の球磨焼酎と自家製味噌に漬け込んだ「市房漬」、平家から伝わる保存食「柚餅子」、水蜜桃の摘果された小さなモモのグラッセ「小さなモモ」など、下村婦人会の漬物は「無添加食品」「純自然食品」として注目され、デパート、スーパーマーケット、関東関西の問屋を介して全国的に販売されます。「おふくろの味」「ふるさとの味」の流行に乗って売り上げは3倍に、漬物の種類は30種類に増えます。同時に「女性主導の村おこし」として新聞・雑誌・TVなどで話題になり、漬物工場には視察団が押し寄せ、幸は全国の講演会に引っ張りだこになります。「私は漬物屋のばばあをもう50年しております。そして、何とかここであるものを全部生かしております。捨てたなんていうことはありません、本当に。そしていろんなものがまだできます。」「私たちは余って捨てるようなものまで買い取って、何かならないか工夫して考えて商品にしてきました」「私たちがつくるものは、全部下村のものばかりです。保証します。」「女に相談してください。女は知恵がありますからどんな知恵でも出します。」下村婦人会の理念が工場に掲げられています。「1.安全であること 2.ごまかしのないこと 3.味の良いこと 4.価格が妥当であること」

-下村婦人会

-下村婦人会
-『暮らしの手帖』1971年2月

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