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Happy Women's Map 兵庫県加古郡播磨町 日本初オマーン国王夫人と王女 清子&節子・アル=サイード女史 /Japan's First Wife and Princess of Oman, Ms. Kiyoko & Setsuko Al-Sayed

-『アラビアの王様と王妃たち』(下村満子, 朝日新聞社1974)


清子 アル=サイード /  旧姓 大山清子
Ms. Kiyoko Al-Sayed / Ms. Kiyoko Oyama
1916 - 1939
兵庫県加古郡稲波町
Born in Kako-gun, Hyogo-ken

ブサイナ(節子)・ビント・タイムール・アル=サイード
Ms. Buthaina bint Taimur Al-Said
1937 - 
兵庫県神戸市中尾町
Born in Kobe-city, Hyogo-ken

大山清子女史は日本初オマーン国王夫人。オマーン元国王タイムール・ビン・ファイサルとの間にブサイナ・ビント・タイムール王女(日本名 節子)をもうけます。
Ms. Kiyoko Al-Sayed (Ms. Kiyoko Oyama) is Japan's first Wife of the former Sultan of Oman. She bore Princess Busayna bint Taimur (Japanese name: Setsuko) with the former Sultan of Oman, Timur bin Faisal.

「シンデレラ」
 清子は兵庫県加古郡の農家に生まれるも、2歳の時に父が急逝。母・しげのは清子を連れて神戸市で大工を営む大山勘治のもとに嫁ぎます。3人の妹もうまれ、家計はなかなか苦しく、年頃になった清子は神戸市生田区三宮のダンスホール「キャピトル・ホール」へダンサーとして働きに出ます。まもなく父親と同年代の中東の男性、タイムール・ビン・ファイサルに出会います。何度断っても3か月にわたって猛烈にアプローチをされ続け、3ヶ月後には求婚されます。第一次世界大戦の特需景気で沸く日本人の1か月の給与を一晩で使う豪遊っぷりと、日本人にない紳士的な態度に清子も折れます。日中戦争前夜の米国・英国との対立が強まりつつあるときで、清子の両親は大反対。清子とタイムールは日本永住を約束することでようやく両親も折れます。半年後、日本式の結婚式をあげると、清子はイスラム教に改宗。清子19歳、タイムーン50歳は葺合区中尾町の坂の上の真新しい洋館に新居を構えます。オマーン人の料理人やメイドに家事を任せ、清子は高価な宝石やドレスを身に付け、タイムーンと一緒に食事にダンスに出かけシンデレラの様な生活を送ります。やがて一人娘・節子(ブサイナ)を授かります。

「前オマーン国王夫人」 
 するとタイムールの子供たちが自宅を訪ねてくることとなり、ここではじめて清子はタイムールがオマーン王国の元国王であり、第1夫人との長男サイードに王位を譲渡したこと、清子は第4夫人であることを明かされます。オマーン王国の真っ赤な国旗と日章旗を掲げて、清子とタイムーンはタイムールの長男でオマーン国王であるサイードとその弟ターリックならびに7名の従者を迎えます。サイードは清子の5つ上でした。神戸の青谷に300坪の土地を購入、「2人の愛は永遠。ここを永住の地と定める。」と石垣に刻んで本格的な新居の建設に取り掛かった矢先、清子は結核に侵され病院に入院します。ゆっくり療養する暇もなく、すぐに昔のダンサー仲間らがタイムールにあの手この手で近づこうとする話が清子の耳に入ってきます。清子はタイムールと節子と側を離れたがらず何度も病院を飛び出します。困ったタイムールは節子を清子の母に預けてしばらく日本を離れます。清子とタイムールは何通もの手紙を交換しながら回復を待ちますが、数か月後に清子は逝去します。太平洋戦争の始まる直前、清子の郷里・稲美町で「前オマーン国王夫人 清子 アル=サイード 23歳」と墓石に刻んだタイムーンは、王族の財産を継がせるために節子を連れて日本を後にします。

「オマーン初の日系王女」
 節子(ブサイナ)は父・タイムーンの第1夫人に預けられると、30年間の幽閉生活を強いられます。イギリスなど西洋諸国の政治干渉と借款に対抗する中でオマーン国内退去を条件に王位を退位していたタイムーンは、インドのボンベイから節子に頻繁に手紙を送ります。「日本は世界一礼儀正しい国。日本の女性ほど夫に従順でよく使えることを知っている女性は世界にいない。」「お前は私のたったひとりの娘。兄弟はすべてお前の召使だと思いなさい。」召使に傅かれながらも学校に通うことなく、道の歩き方も知らず、女性の従妹から家で読み書き・算数・料理・裁縫・刺繍などを教わって過ごします。父・タイムーンの逝去の知らせを受けて数年後、サイードの息子カーブースの起こした宮廷クーデターにより新国王カーブースが即位。軟禁を解かれた節子(ブサイナ)は自分の邸宅を構え、召使・運転手付きの専用車・料理人・侍女を抱え、従妹たちと農園・オアシスへピクニックに出かけます。医療検査と手術のためにボンベイ・ロンドン・ハンブルク・ベイルートなど初めて外の世界を見て周ります。病院で母親と死別した孤児をもらい受け養子にして可愛がります。41歳の節子(ブサイナ)はようやく日本を訪れ母親・清子の墓参りを果たします。

-『アラビアの王様と王妃たち』(下村満子, 朝日新聞社1974)

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