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029. 自分を解放するという責任

わたしは数年前まで、
もう、
人生に不満ばかりで、
いつも人からどう見られるかを気にして、
人から勧められることにNOと言えず、
人の期待に応えることで、
自分の価値を確認していた。

その頃は、
わたしにとってはそれが当たり前で、
わたしはそうやって生きていく人なんだろうと
もはや思考停止を起こしていた。

でも、
わたしにも人生の転機が訪れ、
生き方は変えられると知った。

それを知れたことは、大きな喜びだった。
わたしでも、自由に自分の人生を
生きられるのかもしれない。

でも、その後また、違う苦しみに襲われる。

自由に選べるなんて、急に言われても、
自分が何を選びたいのかすら、わからない。

そしてまた、思考は、
わたしはなにを選べば正解なのだろう?と
ありもしない正解を求めはじめる。

そうして余計、苦しくなるのだ。

そうなると、今度は、恐ろしいことに
これまでの人生の全てを呪いはじめる。

わたしが自分らしく生きられないのは、
そうさせた、親のせいだ。友だちのせいだ。

人のせいにして、被害者面をしはじめる。
親の育て方のせいだ。
わたしは親のようにはなりたくない。

親に自分の人生の責任を押し付けて、
自分を正当化する。

そんなんじゃ、
自分の人生を生きられるわけが
ないのに。



今、やっと実感としてわかった。

全部、決めたのは、わたし。

親の言うことを聞く、と決めたのは、わたし。
親の期待に応える、と決めたのは、わたし。
人の勧めにNOと言わない、と決めたのは、わたし。
人の期待に応える、と決めたのは、わたし。

反発することもできた。
でも、しなかった。
反発しない、と決めたのは、わたし。

喧嘩しても良かったし、家出しても良かった。
でも、わたしが、そうしなかった。


自分で決めてないことなんて、ない。

それを認めるのは、悔しいけど。
全部自分の選択。
全部自分の責任。


でも、そう思ったら、
わたしはなんて、幸せなんだろう。

全部自分で決めてきた。

そのときのわたしは、そうしたかったのだろう。
それが最善の選択だと思っていたのだろう。

結局、最初から、自由だった。
誰からも制限なんてされていない。
みんな、きっと、わたしにとって良かれと思って
言ってくれてた。

制限していたのは、むしろ自分自身。
自分で自分を、そうあるべきだと勝手に決めつけていた。


いやねーーー
こんな大切なこと、早く気づいてよーー!
って思うけど、
みんな、それぞれのタイミングで
気づいていくのでしょう。

今までのわたし、ありがとう。

自分にパワーを取り戻そう。

気づいたからには、
自分で自分を解放してあげるね。

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