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OLD MAN SAID (仕事・こころのヒント@ランダム)

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人生・仕事・コミュニケーション・こころのヒント書きます。
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#エッセイ

老子の言葉「為さずして為す」には、為すことが必要。

チャレンジの年にするとか言っていた自分がいる。 チャレンジを挑戦という意味で捉えたなら、戦いに挑むわけで、そんなことしたくないという自分がいる。 一方で、仕掛けるという意味がチャレンジにあるそうで、なるほどこれなら分かる気がした。 戦いに限らず、優劣をつけるには、戦わずして勝つことが理想なのだ。 実力で戦うのは、最後の最後にすることで、でも実際は戦うフリをしてトドメを刺せばいいのだ。 実力行使せずに、勝たなければ、双方に犠牲が出る。人に対して心身の傷をつけたりするのは、下

ぼくが唯一悩んでいること。

このnoteの位置付けを考えている。ビジネスにはあまり向いていない。 この余白に書きたいのは、生きることについてだ。 ぼくの興味はズバリ「人」。 私は誰?ここはどこ?を追求してきてが、まだまだ深い。 ただ、「私は誰でもない」という行き着く先は出ている。 途中に見えない球体がいくつもあって、悩ましてくれる。 球体に当たると、痛かったり、暖かかったりする。 感じるけれど姿を現さない球体を今は懸命に知りたい。 多分、人の魂だろう、良心だろう。 と、思うのだ。 #

一歩前へ。

この先の未来を怖がって、何も手につけられないでいるのは、死んでいることとほぼ同じだ。以前ぼくは恐怖を覚えていた。「もしコレをしたらどうなるかわからない」「未来についたとき、自分は悲惨な目にあっているかもしれない」などと先に進めない自分がいた。 先のことをシミュレーションすることは大事なことだ。想定を作っておくことで最悪を回避できるからだ。 怖がっているだけで何もしないのは、最悪の事態を招くかもしれない。 恐怖で立ち止まり、固まった瞬間の隙を突いてくるのが、悪魔たちだという

10代最後の夏。

ぼくにとって10代はやはり特質すべき時代だった。amazon musicでよく聞いているのは70年代の音楽だ。映画も10代後半にみたものを繰り返し見ている。ぼくのエロティシズムが確立したのは、身分を偽って友人と観にいったエマニエル夫人。これも高校三年生の時。 こんなことをしていたので、大学入試は全滅した。けれども、運よく駿台予備校に入れて、当時から有名な講師の講義を聞けた。講師陣は、もちろん受験のプロだが、人生のプロでもあった。人生哲学を披露し、文学とは何かとか、英語学は何

直感が働きそれがなぜ当たるのか。

直感が働きそれがなぜ当たるのか、という問いです。 しかも当たらない時の方が多いのは? 心身ともに元気なときでしょうか。 ヨガや瞑想をしていて、何か気分の良いとき。 切羽詰まっているとき。 頭が空っぽなとき。 人によって意見は分かれるでしょう。また、個人によって違うのはよくわかります。それぞれです。 これらは状況を表している「とき」です。 ある状況の時に直感はよく働きます。 もしかしたら、いけるかもしれない。 探し物がここにあるかもしれない。 あっそうだ、これに違いない

夏休みの宿題ができないからといってもどうにかなるさ。

学校での読書感想文を数年間書き上げることは、至難の技である。別に子供は困ってはいない。困っているのは母親だけだ。母親がくどくどと「感想文書いたの」と言い続けるから、子供が困るだけで「うっとうしいな」って思うのだ。 毎年毎年この繰り返しなら、親子共倒れで夏休みの後半を過ごさねばならない。帰省の後では、パパのお休みの後では、時間がない。 なぜ書けないかというと、子供が本を読んでいないからだ。 読んでいないから、書こうにも書けない。 内容を知らないから、感想もへったくれもない。

個人で仕事をしている人へのメッセージ

これからの仕事のあり方を問う風潮が強い。それらはサラリーを得ている人向けで、個人授業主、経営者、いわゆる全ての責務を負って仕事をする人向けではない。フリーランスであるからと言って、好きな仕事だけをしているわけではない。国民年金や国民健康保険の納付から、納税、病気になっても有給もなく、何があっても仕事優先しなければならないこともある。保育園に子供を入れるのも、自宅で仕事をしているなら無認可の高額になる保育所に預けることになる。職人さん、芸能人、ライター、画描き、いろいろな職業が

幸せな時間をすごしてほしい、というテーマで全てのことを書いています。2019/08/05

ビジネスであれ、個人の私生活であれ、人はなにかをしながら生きています。何かをする時、楽しい気持ちになれれば、それはとても幸せだと思います。ですが、多くの人は物事に対して、辛い思いをしたり、怒ったり、落ち込んだり、あまり幸せとは思えない感情を持ちます。人間関係、健康、金銭、男女の仲などが原因で起こります。個人的な相談を受けた時、ほとんどがこれらの事柄に含まれます。 仕事とプライベートを分けたとしても、人間関係、健康、金銭、男女の仲は双方に存在します。できることなら、仕事は仕事

生きてるだけでも、感謝です。

インスタグラム、ツイッター、このnote、いろんなインターネットのものを見て、あー幸せそうだなとか、あー今辛いんやな、悩んでいるんやな、しんどいのか、ドキドキしてるのね、みんな生きているんだなと、嬉しく思うのです。 ぼくもぼくなりに生きてきたし、これからどうなるかっていう不安もなきにしもあらずですが、それでもこの世に生まれ出た以上は、楽しみを見つけて、感動を味わって、縁ある人が頑張っているのを見守って、子どもだろうが、サラリーマンであろうが、主婦であろうが、老人であろうが、

無駄なこともある。

ビジネス書の売れ行きがいいらしい。セミナーに行って自分の意識を変えたいと思っている人も、増えているらしい。 でも、結果、いくら本を読んでも、セミナーに行っても、さして変われない。これが意識を変えようとしたけれどの、結果だ。 人はそんなに変化を求めたくない性質を持っているからだ。 同調しているほうが楽であり、行動に移すより考えているほうが楽だからだ。 好きで、居心地の良い書を読み、セミナーへ行ったその時は変わろうとしても、次の日までその意志が持たないのが、通例である。

ほとんどは努力の賜物ではない。

努力は報われない。努力しても水の泡。努力の甲斐なく終わった。 多分事実だろう。努力をし続けても結果が良好だとは思えない。 ならば、努力は無駄かと問われたらそうでもない。努力というのは一つの人生経験だからだ。経験に勝る価値(勝ち)はない。 努力した結果を分析し、失敗や成功の原因を次のステップに生かせれば、それはもう多大な価値を生んでいることになる。 努力は次の経験に必ずプラスになる。 努力をする期間はとても重要で、どこかで見切りをつけることをお勧めする。結果が思わしくない

不幸の思いを断ち切りたい人へ。

今、ハッピーと思える瞬間の積み重ね。これが人生をしあわせにする。 この世の最後にしあわせだったら、それでいいと思う人がいる。 あの時はとてもしあわせだったと思う人がいる。 さて、思うのはいつなのだろうか。 それは、今この瞬間だろう。 未来に思ったとしても、まだ来ないことなので不確定要素が多すぎる。 過去に思っていたとしても、その時の思いは、今この瞬間では正確でない。 時間って何?時間というものを認識できるのは、今この瞬間だと思うし、生きている者の固有の感覚が時間

自由とは何だろうか、考えてみた。

(写真は40年ぐらい前に横浜・鎌倉・江ノ島に一人旅に行った時のもの。もちろん、フィルム。江ノ電、江ノ島の昔の光景。) 多くの縁ある人に言っていることなんだけど、楽しんで生きることを推奨している。あるがままの自分を受け入れて、他人の目を気にせず、自由に生きることができれば、こんな最高なことはないだろう。世間の基準は自分の基準とは違う。だから無理に合わせることはない。かけ離れていたらどうしようなどと考える必要もない。 自由に生きるといえば、昔、先達に「責任が伴うよ」と言われた

浮世絵は絵。京都で浮世絵見てきました。

まあまあ京都という街が好きで、でも嫌いなところもある、そんな生まれ故郷。今は大阪に住んでいるのだけれど、たまに行く。帰るとはもう言わない。生まれ育ったところではあるが、離れて数十年経っている。 見所もある。さすがに観光客が殺到する街。 今日も京都に出かけた。インスタグラムに載せたものだけど、この通りの感想。結構グッとくるものもあって、面白かった。江戸の美人は面長なんだな。丸っこい顔が好きなんで、好みのタイプはいなかった。 色使いとか線や面の描き方は、さすがだった。画家で