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なんのこっちゃ。

泡と球

なんのこっちゃ、泡(あわ)と球(たま)って。

昨日からのぼくの中のキーワードが「泡」。バブルが弾ける。泡のように消える。一瞬で現れ、一瞬で消える。でもとてもキュート。まるで乙女のよう。ふわっと現れ、いつのまにか恋して、いつのまにか弾けてしまう。いつまでも続かないのが泡の持つ特性で、泡は恋。恋はいつまでもは続かない。あっちで現れ、こっちで現れ、そして消えて行く。

ならば、愛はなんぞや?という問いが現れて、愛はボールのような「球」だと想像した。

相変わらず、なんのこっちゃ。

野球のボールは投げられ、打たれてもボール。サッカーのボールも足で蹴られてもボール。バレーは叩かれてもボール。一途で、けな気で、なかなか壊れない。しぼむこともあるけれど、またエネルギーを注入すれば膨らむ。そして続いて行く。いつかは肉体のように劣化して壊れることはあるかもしれないけれど、球の動いた奇跡は残る。人の心に、記憶に残って存在し続ける。愛は球だ。

球体は愛を出し愛を受ける。太陽は愛を出し、地球はそのエネルギーを受ける。地球も人々に愛を出し、人々は受け入れる。

さて、このボール、いろんなところに転がって行くのが少し難点。とどめておくのは難しそう。大事にしてあげれば、他のボールと一緒にまた現れるかもしれない。

なんのこっちゃ。


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#コラム #エッセイ #詩 #人生  

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