良いと思うことを続けてみる。(縁と運その32)
自転車についているカゴの中にゴミを一個入れておくと、そのうちゴミが溜まってくる。これが縁というものかもしれない。
同じような行動するものと群れ、仲が良くなる。「行動」「行為」が群れる要素となる。一緒にいても考え方や性分が違えば違和感が残る。そこから抜けたいなという心理が働くのだが、「行動」「行為」がまだ同じだから容易になは離れられない。
縁は性分や考え方だけでは決まらない。性格が良いもの同士が寄ることがあるが、それは性格の良さから出る行動や行為が似通っているからだろう。性分の悪いもの同士が集まるのもまた行動が作用している。
集まった者が同じように行動すると、そこから離れることが減る。部活動、塾、会社、宗教、政治まで皆同じである。行動が違えば排斥されることもるし、もしその行動に追いて行けなければ自らが離れることになる。
行動することで縁を分けるといっていい。
自分がもし良縁を求めたいなら、日頃の行動や行為を良縁に合わせたものにしていくことだ。掃除ができる人は綺麗好きが集まってくる。物事や人に対して優しく思いやりの行為をしていれば、優しい人と出会える。金が欲しいという行動をしている人は同じような人が寄ってきて、搾取される。お金のシェアはできないものだから、奪い合いにある。
物理的なことを良縁にするのは少し難しいけれど、精神的なことを縁にすることは十分できる。精神的な縁があった後で物理的なことを生むことは可能だ。ただ、「行動」「行為」していくことがポイントになる。偽善的でも嘘でも構わないから、行為を続けることだ。続けることができれば、身について、「ほんまもん」になってくる。
けれど思うかもしれない。「良縁がないと悲観してしまう自分がいて、しかも、誰からも見られない、誰からも応援されないから無理なんです」と。でも大丈だ。自分の良いと思うことを行動し続けたなら、縁という見えないもので繋がってくる。
時間はかかるだろうが、続けてみてほしい。
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