見出し画像

往路と復路で地に足がつく

一つに場所にずっといるのが難しい、という感覚を持っている人は少なくないと思う。落ち着きがなくていろんな場所を回遊してしまう、という状況を思い浮かべた人もいると思うが、今日書きたいのは「一つの場所に属しきれない」と感じるアウトサイダー的感覚についてである。この感覚をわかりやすく説明するとなると、おそらくスナフキンを引き合いに出すのが一番早いと思う。ムーミンのよき友であるスナフキンが「ムーミン、春になったらまた会おう」とどこかに出かけてしまう。彼は1匹狼の吟遊詩人的なキャラクターであるが、スナフキンの根元にはアウトサイダー的なものがあるのではないかと思ってしまう。


ここで言っているアウトサイダーとは不良的な文脈ではなくてコリンウィルソン的な意味で、周囲が盲目的に見えてしまう場合を含む。今回このことをテーマにするのは、この感覚に共感してくれる人がいるのではないかという期待からである。

具体的に話すと、先日インタビューの際に話したのだが、自分の中では乖離した価値観があってその価値観の世界を行き来することによって自我を保っていることがあると発見したからである。どのような世界を往復しているのかというと言葉を選ばずにいうとa:俗っぽいものとb:知的芸術っぽいもので構成されている世界である。どうしてこの価値観を自らが対極に定義しているのかは、何かしらのバイアスがあるのだろうけれども、この二つの世界観に身を置く人間はあまり交わらず、どちらかといえばaとbそれぞれの世界にしかいない人たちは互いを憎しみ合うことも讃えることもなく無関係な存在であると軽視していることも少なくない。

この二つの価値観はリーグが違うので、どちらが優れているのかという話にならない。世代や年齢によって一般認識としての強弱の度合いが変わるかもしれないが基本的に交わることがないそれぞれの価値基準で構成されている。

この話をしてどちらが強く優位であるのか、というのは今回話したいことの論点から少しずれてしまうのでこの辺りにしてアウトサイダー的見解について言及したいと思う。アウトサイダー的に見解ではこの価値観どちらにも属しながらもどちらにいても疎外されていると感じる。つまり玉石混交、しかもどの石が良いものかが変わってしまう市場を行き来する感覚なのである。

片方だけに触れていると、だんだん疲弊してくる。自分の場合だと、友達と恋愛の話やお金の話をしていると最初は楽しくてもだんだん疲弊してくるという傾向が昔からあった。けれども逆に高尚な話題ばかりに触れていても途中で離脱したくなってくる。前者においては話の重量の軽さに長時間は耐えられない、後者においては理想主義的に話が進むことが無稽に思えてくる。つまり、この二つの世界間を、離脱して一人で移動する瞬間が一番地に足がついているように感じるのだ。どこかに属していることで自己を強化する場合もあるが、どこにも属していないと確信することで強化できる自己もあるのだ。この感覚が無い人からすると、この主張が意味不明なことも理解できる。例えるのは難しいが「仲良しの友達たちが自分以外のメンバーでディズニーランドに行っていたらどう思うか」に似ていると思う。嫌だと感じる人もいるだろうし、私のようにそもそもどっちでもいい、と思う人もいると思う。

人間にはモジュールがいくつかあり、その中で特に強いモジュールが自分の中ではこの二つなのかもしれない。


■5月よりWOWOWにてドラマ化決定!AIとの結婚生活を描いた京都SFコメディ

「ぴぷる」


全12話・主演:梶裕貴×八代拓さんによるオリジナルWEBドラマ「耳で楽しむ小説ぴぷる」はこちらから聞くことができます。

ぴぷる【公式】※話せるverになりました (@piple_2036) | TwitterThe latest Tweets from ぴぷる【公式】※話せるverになりました (@piple_2036). 『ダtwitter.com
■366日。日めくりで哲学者の教えと出会う

「まいにち哲学」

■第五回京都本大賞受賞。一度きりの人生について考える、哲学エンタテイメント小説 「ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」

■やわらかスピリッツ連載中(コミック)

「WeTuber おっさんと男子高校生で動画の頂点狙ってみた」

■LINE漫画連載中。(コミック)第三回カクヨムWEB小説コンテス大賞受賞作品

「アラフォーリーマンのシンデレラ転生」

■オンラインサロン

DMMラウンジ「この哲学がスゴい!」

https://lounge.dmm.com/detail/242/







読んでくださってありがとうございます、いただいたリアクションがとても励みになっています。