look back again

 目覚めると、外の汚れた世界では小鳥が声高らかに鳴いていてカーテンの隙間から柔らかい初夏の太陽光が部屋を挿してる。

時計を見たら9時30分

お腹は空いているが、冷蔵庫は執行猶予品しか入っていない。
きっと大丈夫…そう思いながら冷蔵庫から取り出したカツオのたたきを食べながら、今これを書いてる。
信じる気持ちが体を強くするのだ。
お腹は痛くならない。お腹は痛くならない。

BGMは矢井田瞳。最近のお気に入りだ。
今日は、そんな矢井田瞳の素晴らしさについて少々語ろうと思う。

矢井田瞳は2000年東芝EMIから「Bcoz I LOVE YOU」でメジャーデビューした。
次作となる「my sweet darlin 」は全国的な大ヒットとなり矢井田瞳の名をヒットチャートへ押し出した。

当時東芝は、産休に入ってしまう椎名林檎の稼ぎ分をどこかで補わなければならずアルバムセールス230万枚に取って代われるだけのアーティストを模索していた。
そしてインディーズで名を馳せていた矢井田氏に白羽の矢が立つ事になる。
彼女に与えられた矢井田瞳としてのミッションは
『椎名林檎の穴埋めをすること』
それは若く野心の強い矢井田本人にすれば、もってこいの試練だった。

矢井田瞳はヒットメーカーの常連に名を連ねるまで、その才能を余す事なく発揮したし、今改めて楽曲を聴いても色褪せないパッションは天才と呼んでもなんら遜色のないものである。

しかし彼女には一つのレッテルがいつも付いて回った。

「椎名林檎のパクリ」

である。

だが、これは矢井田瞳への最大なる賛美ではないだろうか。
サラリーとしての矢井田氏の働きは目を見張るものがあったし、見事その才能に課せられたミッションをやり遂げたのだから。

ではなぜ天才 矢井田瞳は廃れていったのか。

矢井田瞳の敗退については椎名林檎との比較が最適だろう。(矢井田氏にとってはいつまでも付いて回る因果なのだから)

これはあくまでも楽曲についての比較であり、
芸能界という大世界の陰にどのようなカラクリが仕掛けられ、どのように彼女たち(あるいは他の彼等達)が立ち振る舞っているかの比較ではない。

抽象的な言い方をすれば
椎名林檎の楽曲はナマモノであり
矢井田瞳のそれは機械仕掛けのように感じる。

椎名林檎はデビュー当時より楽曲に対して自分と楽曲の鮮度関係を気にする発言をしている。
言葉通り、自身椎名林檎という世界と対峙する女心から見た「女」の鮮度を。
彼女はあらゆる歌唱テクニックと様々な声色を使い分け、演じ、客を集めてきた。

第一幕では「共感」
ここでキスして、罪と罰、ギブス、本能と
独特な表現力で女心を射止め、共鳴を呼んだ。
丸の内サディスティックでは丸の内沿線でのドラマをかいつまみ地方者に憧れを、東京在住者に親近感を与え引き込んだ

第二幕「才能」
活動休止に伴い、ベストアルバム発表を頑なに拒んだ彼女は彼女の歴史を観る様な生き生きとした、斬新で手の込んだ椎名林檎らしいカバーアルバム「唄ひ手冥利」と、「鬼才」という印象の置き土産の罠を張って、スッと雲隠れした。

第三幕で「転調」
椎名氏の素晴らしいところは、その活動がいつも「繋がり」を持っていることだ。
復帰第一弾「茎(stem)〜大名遊ビ編〜」では鬼才ここに健在と言わんばかりの林檎節を引っ提げて舞い戻り、「加爾基精液栗ノ花」でファンのみならず世を圧巻した。
しかし、翌年彼女は弱さを垣間見せ、ソロ活動からバンド活動へ移行する。
言わずと知れた東京事変への転調である。

第四幕では「自分自身」を売りにしている。
女の一生を活動で表現している様にも感じられる。
新鮮な憤慨を届けるための椎名林檎市場マーケティングだ。
ヒットチャートの常連であり続けるという目的よりも椎名林檎は様々な手段を用いて人々を飽きさせない努力で生き残り続けてきた。

様々な競合作品、東京事変の復活
現在の椎名林檎の活躍を第五幕と呼称するには、勿体のないエネルギーを感じる。
【新章】と掲げるに相応しいであろう今後の展開に期待が高まるばかりだ。


一方、矢井田瞳はいつまでもヒットチャートを意識したヒットする条件に乗っ取った楽曲での攻めの一手であったように思う。
ここがサラリーの正念場と言わんばかりに。
トレンドにわずかな矢井田瞳のエッセンスを加え、上品な楽曲を淡々と発表していたように感じる。
ヒット条件に彼女のアジェンダを忍ばせる手法というべきか。
それは、もしかすると彼女の意地だったのかもしれない。
彼女の楽曲には彼女のドラマ性が欠如していった。
牙を抜かれた獣のように。
2005年には東芝でのお役目を果たし、インディーズへ。
私的理由により2009年に活動休止をした時点では、世間の大半からメジャー復帰を待ち望むレベルの存在ではなかったのだ。
(楽曲自体の良し悪しにかかわらず)
椎名林檎の復帰とその存在感、期待レベルと天秤にかけられては矢井田を推す広告費は抽出できなかった広報活動にも問題は少なからずあるのだろう。
しかし、最も大きなウエイトとしては
多くの人はワクワクしなかったのだ。
させられなかったというべきか。

矢井田瞳はもう少し、あと少しだけ、自分自身を楽曲にリンクさせるだけで日本音楽市場で今も生き残れたのではないだろうかと思えてならない。
もっとわがままになっても良かったのだ。
彼女の敗因は真面目さだろう。
真面目に駆け上がり、真面目に斜に構え、真面目に自分の人生に戻っていった。

命がけであったことは間違いのないその楽曲達は今でも輝き続けている。
私は今も矢井田瞳がその歌の通り
もう一度忘れ去られた過去を振り返って
あるがままの自分でマーケットに返り咲くのを
トイレの中から願っている。

暴れ狂いだした戻りガツヲが
尻から返り咲くのを願うのと同じ熱量で。

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