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移植とイジメ

ある意味一番核となる話。
きっと、肝臓移植だけだったら私は記事を書こうとは思っていない。

肝臓移植してもその周りの環境や運があるからこそ、本当のサクセスストーリーになるんだという事を、知らせたい。
それと同時に私みたいにならないように。

病気が治って、障碍者でも生き続けられてよかったって思う人が増えて欲しい。


最初に言っておくと、私は「風変りな子」だったのかもしれない。
産まれたころから病院にいたせいなのか、学校の”空気”というものを読めなかった。

まだお腹の傷が気になっていた頃、祖母の姉の家に泊まりに行ったことがあった。その時、祖母の姉の孫に、「傷を隠すなよ、傷は男の勲章だぞ」といわれるエピソードがあった。

私はその言葉を鵜呑みにし、男の勲章(女ですが)なら隠す必要もないなと認識し、小学校の体育の時間から更衣室で隠しもせずに着替えました。

もともと、病院で散々医者や看護婦に裸を見られまくっていたため、羞恥心など形成されにくい上での「勲章」というかっこいい説得力が悪い方向に後押ししたのではないかと。

昔の病棟は、トイレが男女別れていないことがあった。尿器(画像参照)というものがあって、女の子も男の子も大きな部屋で、トイレや尿器に用を足していました。

無題

そんなのを間近で見ていたので、同年代の裸どころか、股間も見なれている。

傷を見慣れていない子たち、普通の環境で育ったために羞恥心が備わっている多感なクラスメイトにとってはとても驚いたのでしょう。今ならわかる。

HARAKIRI女を周りに知らせたのは私自身だった。

もしかしたら、私が涼宮ハルヒのように勝気な子ならなんとか通ったかもしれません。

しかし

・たまに休む

・よく前髪で目が隠れている黒髪

・一人で本を読んでたり友達と関わらないで、すぐに図書館に行く

・給食の時に薬を飲んでいる(ポカリ持参)

・保健室に行きがち

・おとなしいというより暗いよね

・移植前の胆道閉鎖症は消化器系の病のため空腹を防ぐために、カロリーメイトを教室の隅で食べてた

・お腹は絶対守れと医師に言われていたため、ドッチボールが物凄く怖く、当たる前から亀のようにうずくまって頭を抱えるへなちょこ姿勢


クラスの女子や男子にからかわれるんですが、そういう時ってずっと無言だったんですよね。うまく言葉を言語化する能力が足りなかったのもあると思うのですがそれだけでは無いでしょう。

授業中真面目に受けてました。

わかる問題なら手を挙げていました。

けれど、何か発言する度にくすくすとした嘲笑がクラス中に響き渡るので、だんだん授業に積極的に参加することもなくなりました。

いや、なんというか典型的ないじめられっ子気質かもしれないなと、大人になった今ちょっと思ってしまう。

休みは多いし友達と関わらないくせに、授業はちゃんとしっかりやろうとする。目障りだったんでしょう。

一度も大人しいままだったかというと、一度だけ反抗したことがありました。

それはクラス全員で千羽鶴をお見舞いにと、教室で渡された時でした。

「どうせ、やらされたんでしょ。いらないよ」

これが、唯一の抵抗でした。きっとものすごく人間不信になっていて勇気をだして伝えたつもりだったんでしょう。

ですが、私の想いは誰にも届きませんでした。
タイミングが悪かったんだと思います。

当時は友達だと思っていた子「たとえいじめられていても、その中でもクラスの誰かはちゃんと想って折ってくれたんだよ。その子の気持ちまで否定するの!?」

先生「謝りなさい!」

めちゃくちゃ怒られました。
気が付いたら、泣きながら自分が謝っていました。

(だったら、千羽鶴なんか折らせてないで普段の嘲笑を止めてくれよ先生!)
と本気で思いました。

机運ぶたびに、○○菌とか言われているんだから、被害にあっているのわかるだろって。

中学になっても、それは続きました。

さすがに、実害がある暴力や水かけなどはされませんでしたが、言葉の暴力や仲間外れはしょっちゅうされました。

勿論、親にも先生にもいじめられたことを言いました。

しかし両親とも教師、「気のせいでしょう。強くなれ。」で一蹴されてしまい、スクールライフは安全な場所ではありません。

今思えば、もしかしたら担任も私がどんな病気かを親に聞いてなかったのかもしれない。

もし、しっかり自分の意見をはっきり人に言える性格だったら、「お腹に当たると危険だといわれたので、ドッチボールは見学」って先生やクラスメイト達に自分から言えたのかもしれない。

そんな出来事が続いて、入院生活が私の憩いの場となるのでした。




職場のバス代(または駐輪場)に使う予定です。 貴方のお陰で、少し通勤が楽になります。