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カルト宗教が牙をむく時・3~教祖との決別から始まる新たな苦しみ

【信仰とは何か 教団で培ったのは恐怖だった】

地下鉄サリン事件以降オウム真理教による犯罪が明らかになっていく中で、多くの信者が次々と脱会しました。ある女性幹部がロングヘアをばっさり切ってニュース番組で脱会を告白したことがあります。その直後には女性幹部を慕う部下たちが、まるで夢から覚めたようにバラバラと脱会して行きました。商店街の電気店でちょうどその番組を見たという出家信者は、その足で美容室に駆け込んで髪を切ったそうです。そのまま二度と教団施設には戻りませんでした。オウム信者にとって頭頂部は神聖なエネルギーが宿る特別な部位とされていて、手を触れることができるのは教祖・松本智津夫だけとされていましたから、女性幹部が長い髪を切るということは「松本智津夫との決別」という信者たちへの重要なメッセージになったのです。

しかし、大沢ひろみが脱会を決意したきっかけは髪を切った女性幹部の脱会でもなく、実行犯らの供述や意見陳述でもありませんでした。

ある晩、大沢は公衆電話から私に電話をかけてきました。
故郷にいる祖母が亡くなった。大好きだった祖母に死期が迫っていたことも察知できなかった。何が修行者だと泣きながら、自分の愚かさを悔やんでも悔やみきれないと泣き続けました。そうして自ら脱会したいと私に協力を求めてきたのです。

財産や私物をすべて捨てて出家した身なので荷物などはなく、着の身着のままで教団から脱出しました。
大沢が脱会後にくれた手紙を改めて読み返してみると、解脱を目指したはずの教団の修業で培ったのは、不安と恐怖だったと書かれていました。

<大沢ひろみ脱会後の手紙>
『戻ってから気がついたことがいくつかあります。
一番大きいのは自分の輪廻転生に対する不安、三悪趣に対する恐怖かな。
私は出家生活の中で救済の心を培ったのではなくて、恐怖を培ったのかと考え込んでいます。
裁判傍聴記を読んだら、同じ恐怖を持っている方が多くいると知りました。
あと、事件の実情はアゼンとするやら涙が出てきて止まらなかった…
家族やまわりが気をつかってくれますが私の心の問題が全然理解されてないのでより苦しいものがある』
※(手紙の趣旨が変わらないよう配慮の上、個人の特定につながる部分を削除再編しています)

手紙には松本智津夫への信仰心について全く触れていなかったので、いわゆる“マインド・コントロール”の心配はないだろうと漠然と思っていました。
脱会後も電話やメールで近況報告を受け、取材を継続していました。食事や一緒に酒を飲んだこともあります。オウムに戻りたいと心が揺らぐ様子も感じられませんでしたので、脱会した信者の中でも社会復帰は容易な方だろうと思いました。時折公安の監視や尾行がひどいと愚痴をこぼすことはありましたが、私は公安の嫌がらせなんて多少はあるものだし、元信者にありがちな〝ちょっと過剰な思い込み〟だと思っていました。

警察は、教団がまだ逮捕されていない逃走犯と連絡をとって資金援助をしている可能性があるとみて厳しく教団の出入りをマークしていました。1996年頃までは現役信者と脱会者の区別がつきにくかったため、警察も公安調査庁もかなりの人員を投じて慎重に行動を記録していました。教団施設から児童相談所に保護された子供を取り戻すための偽装脱会も多かったのです。しかし97年頃からは予算も人員も大規模に縮小、逃亡犯も全員逮捕されて一連の刑事裁判はすべて終結しました。そうして2018年7月に教祖の松本智津夫ら13人の死刑が執行されました。いまは公安調査庁が団体規制法に基づく観察処分の調査で立ち入り検査などを行う以外、元信者への監視や尾行はほとんど行われていないと思います。

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