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ラ・カンパネラ~母の葬送2

母の死去から三日目の木曜。
葬儀会場に到着して係の人と進行を確認している時に
「お母様は何の音楽が好きでしたか」と聞かれました。
そんなこと急に…思わず目が泳いでしまい姉を見ると、姉もきのう聞かれて答えられなかったのといいます。
「好きな曲を聴かせて差し上げましょう。最後まで音や香りは伝わっているといいますから」
僧侶の読経も講話もない、だから形式に縛られることはなく自由です。
ええっピアノ習っていたからショパンの葬送とか、別れのワルツ?
イヤイヤいかにもしんみりしすぎたりするのはよくないし。葬式らしいかどうかより本人が好きかどうか。
「う、も、モーツァルトか あ、あ、アルハンブラ宮殿、だっけね?
正式名称はアルハンブラの思い出かどっちか。ほらギターの曲」
「どんな曲?」と姉に聞かれて
「そんなの聞かれても歌えないよ、暗いかな、でも好きだったよ。いやいやごめんごめん、やっぱりさ、リストがいいよ」
選んだ曲は「ラ・カンパネラ」
繊細なリストの旋律に押し込めていたはずの感情が揺さぶられ、不覚にも私は母の形見のサングラスをそっとかけました。
その場で思いついた曲でしたが、母の人生のフィナーレにふさわしいと思いました。

出棺前、棺のふたを閉めるとき、90歳の父が車いすから立ち上がって母の頬に触れました。目に涙を浮かべて。冷たくなった頬を何度も何度もさすっていました。

あまり仲がよい夫婦ではなかったと思っていましたが、60年以上連れ添った間柄ですから。私たちにはわからないこともたくさんあるのでしょう。
私が二十代の頃、母に父のどこがよかったのと聞いたことがあります。
「海辺の砂浜で寝転んで、お父さんが詩を読んでくれたのよ」
父がポケットに入れていた詩集。それは
誰の作品だったのか聞いても、はぐらかされて教えてはくれませんでした。
ブレヒトか、イェイツ、もしかすると最後まで枕元に置いていた「海潮音」だったのかもしれません。

最終テストの採点

斎場で骨上げを待つ間、故人の思い出を語り合いました。姉も姉の息子たちも「母はしつけに厳しい人だった」と言います。
箸や茶碗、湯飲みの持ち方もよく怒られた。
字が汚い。漢字の書き順が違う。服をきれいにたたみなさい。靴をそろえなさい玄関はきれいに。出かけるときは何が起きてもいいようにきれいに掃除してから出かけなさい。
何がって?事故とか急病とか泥棒に入られてもすぐわかるから。
とにかく「きちんとしなさい」

私が社会に出て働くようになってから実家に帰った時のこと。
ドアを開けて「ただいま」と言うと母は「いらっしゃい」と応えました。
おかえりなさい、ではありませんでした。
もう家を出た人間なのだから「お邪魔いたします」でしょうと言うのです。
そして頭のてっぺんから足の先までじろっと見てから「何その頭、汚い靴」
私は玄関で靴を脱ぐこともなく、黙ってきびすを返しました。
ああ、母らしいエピソードよねと姉が困った顔でうなずく。身だしなみが整っていない私の落ち度で返す言葉もなかったのです。
絵を描くにも、ニワトリの足はそうじゃないとかね。
ラジオの英会話をずっと聞いていて、アテネ・フランセでフランス語勉強していたり、とにかく語学が好きだったよね。
そうそう、勉強すき。漫画は読ませてもらえなかった。
ふつうの小説を読んでいるだけでも「くだらない」と怒られた。
「くだらないかどうか、自分で読んでみないとわからないでしょ」って。
そうしたら?
そんなもの読まなくともわかるって。
「人の振り見て我が振り直せ」ってよく言われたね。
そう、そのあと「私を反面教師として」って続くんだよね。ずるい。

何が楽しいと思うかは人それぞれで違うはずですが、母は楽しみを選ぶ自由すら許さない人でした。
すざまじい逸話がつきることはありません。その時。
「おれ、お母さんのこと何にも知らないよ!」
声の主は四十近くになった姉の長男です。
次に自分が母を送ることを思い、ドキッとしたのでしょう。

ねえ 教えてよ 
もっと知りたかったよ お母さんのこと。

どんな人生でしたか。
好きなものは何ですか。花や季節、料理。
思い出の場所 音楽と小説や詩集。
何をしたかったのか、
何をしたくなかったのか。
それから…それから娘のことをどう思っていたのですか。きらいでしたか。
あなたの理想にはほど遠い娘でしたか。

最期が近づいていた母は、あるとき姉にこう言ったそうです。
「あなたはもう 好きなように生きなさい
自分の好きなように」
今さら?そう。でもそういわれた。
母は、自分が娘を縛りつけようとしていたことを自覚していたのです。
それを最後まで気にかけていた。
お母さん、あなたは自分の人生を
自分が好きなように生きたのでしょうか。

身辺整理をしておこう
きちんとしなさいって叱られないように。
人生の最終テストが採点される日、
私は母からどんな評価をされるのでしょう。

 私の好きなもの
バイク 渓流釣り 珈琲と読書 猫   
ギター ピアノ
多摩川の夕陽 観音崎の海
大好きな お姉ちゃん。


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