見出し画像

カルト宗教が牙をむく時・5~二つの月が浮かぶ世界

【教祖の脳波を受信した信者 その後】
オウムに出家していた頃の大沢はひろみは白い出家信者用の修行服を着て、頭には PSI=パーフェクト・サーベーション・イニシエーションと名付けられたヘッドギアをつけていました。オウム真理教は教祖・松本智津夫の脳波に近い周波数の電極を組み込んでいると主張していて、値段は数十万円から百万円はする代物です。額にはヘッドギアの電極でやけどした痕が黒ずんで沈着し、髪もふけが溜まって異臭を放っていました。今はやけどの痕もきれいに消えて、身なりを整えすっかり健康になりましたから、ちょっと羽目を外して遊ぶくらいは大した問題ではないだろうと思います。

いつもは話し好きな大沢ひろみが、時々急に表情を曇らせ声を潜める事があります。すると何かの合図のように、普段は軽度な斜視の度合いが急激に進んで、私は彼女の視線を捉えることができなくなるのです。
もどかしさの中で彼女の口から語られるのは決まって公安警察のことです。

大沢「嫌がらせがどんどんひどくなってもう耐えられない。あの人たち」
私「おじさん達、公安か。逃走犯も全員捕まったから張り込みやめていいはずなのにね」
大沢「そう、でもなんで私だけ?他の人に公安の話なんかしても誰にも信じてもらえない。ねえ、苦しいよ。どしたらいい?もう、本当に苦しい」

一般の人には公安警察に尾行される話をしてもまったく想像もつかないことと思いますが、元オウム信者とマスコミという少し特殊な間柄では共通の話題です。
しかし彼女は“私だけに許される遊戯”と無意識に感じ取って虚構の世界を多少盛って語っているのではないかと思えてきたのです。だから私は少々うんざりしながら公安ネタを聞き流すことにしていました。
彼女はしばらく苦悩の表情を浮かべたあと、急に「難しいよね」と笑顔で公安ネタは打ち切られる。一瞬でいつもの明るい大沢ひろみに戻るのです。

【教祖の死刑執行で】
2018年初冬の昼下がり。大沢ひろみから会いたいと連絡がありました。松本智津夫らの死刑執行後に会うのは初めてです。私は新宿のとある公園で会うことにしました。私が大沢に会う理由はただ一つ、取材です。
私「事件に関して、改めて知っている事を聞きたい。もうひとつは前からお願いしている通り松本智津夫の死刑が執行されたので、カメラの前でインタビューに応えてもらいたい」
大沢はふざけた調子で、答えるわけないじゃんとにやにや笑っていました。
私「何度も言ってきましたが、あくまでも取材対象者としてあなたと接してきたので、私が単なる親切心で接しているなどと勘違いをしないように」
すると大沢は・・・
大沢「本当にもう真面目なんだから。インタビューには応えないよ」
とまだ笑っています。私は取材で真剣勝負をしているので、あなたのそういうなれ合いのような態度が嫌いなのだと真剣に言いましたが、彼女の態度が改まることはありません。
一度は現世のすべてを捨てて出家し最終解脱者と信じた教祖・松本智津夫の死刑執行について何か思うことはないのか、その質問が聞こえないかのように、大沢は一方的に友人と遊びに行った話やマルチ商法まがいのもうけ話などを面白おかしくまくしたてます。そしてふと急に、日差しが遮られるように表情が曇り目線が彷徨いはじめました。
ああまたはじまった・・・おそらく私にだけに語られる大沢ひろみの秘密。

大沢「あのね、例のおじさんたちのこと 聞いて」
広々とした公園で散策する人の姿もまばらなのに声を潜める。
「向かいの家にも監視カメラがつけられていて24時間監視されているの。家の中にもカメラがあるんだよ。家族が私に内緒で警察に情報を渡していて、ゴミ箱の紙くずまで拾って調べているんだよ」
私「家族まで?もう脱会してから何年も一緒に暮らしていればわかるよね、教団とは関係ないって。何のために?」
大沢「それはわからない。でもお風呂場までカメラがあって、仕方ないからビニールシートで目隠しをして入ってる」
私「風呂場に仕掛けてあるカメラは場所わかっているの?」
大沢「うん。だいたいね。でも触ったのがばれたら怖い。何をされるかわからないから」
関係者への取材では、大沢ひろみは教団関係施設への出入りや連絡もしていないようだと聞いていました。公安警察が高額な人件費、車両費、カメラなどの機材費をかけて24時間365日張り込みをする理由はないはずです。では、大沢ひろみが監視されていると主張する相手は何者なのでしょうか。

私はふと村上春樹氏の小説「1Q84」を思い出しました。
主人公が眺めていたような〝二つの月〟が彼女にもぼんやりと浮かんで見えているのではないかしら。村上春樹氏は一連のオウム真理教事件の裁判を傍聴し取材を重ねて何作品かを執筆したと新聞の書評欄や文芸雑誌で読んだ記憶があります。初めて読んだ時は、そこまで小説を深く想像しながら読み解くことが出来ていなかったのだと思います。
しかし教祖である松本智津夫と実行犯ら13人の死刑が執行された今になって急に、あの小説のストーリーの様々な場面が現実味を帯びて頭に浮かんできたのです。言葉ではうまく説明ができないのですが「1Q84」の二重に映し出される月に、オウム真理教という集団が抱える歪んだ心理の断層、人の心を力で支配しようとする影がぼんやりと重なって見えてきたのです。

いま新宿の公園で私と大沢ひろみは同じ風景を見ているはずなのに、大沢にはまったく違う世界に見えているのかもしれません。たとえば公園のベンチでくつろぐ恋人は待ち伏せしている公安。背広の男がすれ違いざまに脅し文句を言ったと、しかもはっきり聞こえたと。
大沢「ほら、植え込みの手入れをしている作業着の人もおかしいよ不自然じゃない?」
私には造園業者が作業をしているだけにしか見えません。大沢と私の間のどこかで時空が歪んでいるのかもしれない。思わず空を仰ぎ見て昼間の月を探しました。しかし月はどこにも見当たりませんでした。
私「ねえ、大沢さんが元オウム信者という特殊な身の上話だからとはいえ何かおかしいよ、それは。だいたい大沢さん一人のために張り込みの人員はのべ何人いるのよ。そんなに地方の警察署の中で人件費も確保できないし、もしそれが公安の仕事だったとしたら、もしもの仮説だけどね?違法行為で問題になるはずだよ」
彼女はしばらく沈黙したあと「難しいよね」と言って突然はじけるように笑顔を見せる。
大沢「ね、仕事ばっかりしてさ、ちゃんと休んでる?」
話の辻褄が合わなくなるといつも「難しいよね」の一言を合図に一方的に自分の話を打ち切る。そうやって、こちら側の世界に戻ってくるのです。
異次元に迷い込んだような極端な斜視は、いつもの視線に戻っています。
この頃から大沢ひろみは〝異次元〟に迷い込む回数が増え、その間隔も短くなっていったように思います。
(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?