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母のレイバン

夕暮れに、私はふと思い立って眼鏡店を訪ねました。
「母からもらったサングラスなので、もうガタガタなんですけれども、かけ具合を調整してもらえますか」
ネジも緩んでかなりくたびれている。
「これはアメリカ製のレイバンですね、
かなりの年代物ですよ」
「アメリカって、レイバンってアメリカではないの」
「今はイタリアと中国でしか作っていないんです。これアメリカ製のボシュロムだ。当然レンズは硝子ですし、レア物ですよ」
若い店員は丁寧に両手で母のサングラスを受け取ると、古いものなので破損しないようにそっと調整しますね、と言いました。
「母も90歳だからこのレイバンだって年寄りなわけですよね、もうポンコツなんでポッキリいってもいいから気にせずやって下さい」
「いえいえ、このフレームはしっかりしていてキレイにお使いですし、
デザインも今かけてもカッコいいですよ
まだまだ大切に使ってあげてください」 
手渡されたレイバンをかけると、
ピタリとはまった。
母と顔の骨格が相似型なのは親子だから当然ではあるけれど。
では、器の中身はどうなのか。

私の記憶の中にいる母と、今の私を照合してみる。

セブンスターと珈琲豆

母は朝目覚めると台所の換気扇の下でたばこをくゆらせながらゆっくりコーヒーを淹れて、新聞を読むのが日課でした。
眉間の深いしわと、ため息混じりのたばこの煙。
「セブンスターが150円に値上がりした」
と文句を言っていたことをはっきりと覚えていたので調べてみると、150円に値上げした時期は1975年で私は11歳の小学五年生。
近所の金物屋のような雑貨店に、たばこを買いに行かされていました。
あとは隣のお茶屋さんで珈琲豆も。
「キリマンジャロ200g挽いてください」と子供が生意気な注文をするものだから店の大おかみに可愛がられ、豆が挽き終わるまでおいしいお茶をよくいただきました。

その頃の母は出版物の校閲の仕事をしていて、家にゲラを持ち帰っては食後のお茶もそこそこに仕事を始めるのでした。
あるときはカルチャーセンターの教科書、クラシックレコードの解説書と様々な分野で、モーツァルト全集を担当していた時は大きなルーペをかざして「ケッヘル番号」と長いことにらみ合いをしていました。そうして母の眉間には、さらに深くしわか刻まれて行く。

人の性格を表現する時、明るく社交的とか、おっとりしていて優しい…などの言葉をよく使うけれど、私の母は口数が少なくて、気性が激しい近寄りがたい人でした。

みんなと一緒でいること

幼稚園児のわたしの記憶。
平日の朝に確か熱を出して寝ていたのだと思いますが、テレビをつけるとちょうどチャンネルはNHK教育テレビ(現Eテレ)で、幼児向け番組を放送していました。特に見たいわけでもなく、何となく眺めていると…
「くだらない」と母がつぶやきました。
なぜか聞き流すのが癪で
「わたしまだ幼稚園なんだけど」
と幼稚園児は口答えをしたのです。
すると母は
「別に子どもだからとか、みんな見てるから見る必要はないのよ」
と軽く言われて、ああ、母ってそんな人だよなとすぐにあきらめた、というよりは納得してテレビを消しました。
幼児番組なんておもしろいと思わなかったし、その時の感情は今も鮮明に刻まれているのです。

みんながそうだからって
むりしてあわせることはない

幼稚園の遠足で母と一緒に動物園に行ったときのこと。門をくぐってすぐに動物を見るのではなく、ちょっと座ろうかといってベンチに腰掛けてたばこに火をつけました。
「ガムたべる?」母が差し出したのはペンギンが描かれた大人のクールミントでした。
「おやつガムは禁止ってかいてあったよ」
「いいのよ、その辺にポイ捨てしなければ。大人がちゃんと見ていてルールが守れればいいの」
母は子どもの目線などまるで意識になくて、わざわざ幼稚園児の好みに合わせた菓子など買うはずもないのです。赤ちゃん言葉は使わなかったし、自分の大人の考えを感情もそのまま口にする人でした。
その言動に子どもをいじめたり虐待する気持ちなどは毛頭ないのです。
動物園で母からもらったクールミントのガムは口の中がスースーしました。その強い刺激がなくなると母の真似をして銀色の包み紙にくるんでポケットに入れました。
母は本当にしつけに厳しい人でした。
その遠足で何の動物を見たのかは、まったく記憶がありません。

晩秋の詩 

やがて私も思春期を迎え、反抗し、社会人になっても、何十年と歳月が過ぎようとも母とはあまり話しができず、進路で壁にぶつかったり悩んでも相談することもありませんでした。
お互いそういう関係を必要とはしていないのです。
世間で言う友達みたいな母と娘だったり、絵に描いたような幸せな仲良し家族ではありませんでした。
けれども母から受け継いだ記憶は遺伝子に深く刻まれているのです。
「みんなと一緒である必要はないの
それは別に、それほど悪いことじゃない」
目を閉じると、いつだって母のしわがれた声が聴こえてきます。

最後に母の枕元に置いてあった一冊。

『海潮音』上田敏訳詩集
秋の日のヴィオロンの 
ためいきの身にしみて 
ひたぶるに うら悲し…
~落葉~ ポオル・ヴェルレエヌ

最後まで気取ってカッコつけてた母。
母の年代物のレイバンが
美しさを取り戻した晩秋の夜に、
母も娘も不器用なまま
さよならは言わずに別れました。

母 ひで子 永眠 90歳   2021年11月9日

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