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夢枕に立つ人~母の葬送3

冷蔵庫のドアを開けると、メッセージホルダーが二つ並んでクリップに紙が挟んである。○○へ。宛名はそれぞれ私と姉に1枚ずつ。
「あーっきたか、やっぱりきたか、きちゃったか」
青いインクの文字は間違いなく母のものだ。メッセージを受け取らずに私は冷蔵庫のドアを閉めた。
母が他界して三週間。
そろそろ夢に現れる頃だと思っていました。
しかし予想外のメッセージカードという手法でくるとは、自分が夢枕に立つことを遠慮したのか、娘たちには歓迎されないだろうと思っているのでしょうか。

30年前の忘れることができない思い出。
祖母が亡くなった時のことです。
葬儀場に駆けつけるとすぐ、母は私に泊まっていけるんでしょと言いました。
「そりゃあ大事なおばあちゃんだもの、お通夜の番をするのは当然でしょ、この世で最後の夜なんだから一緒にいるよ」
母の顔はとてもこわばってみえました。
母と一緒にいた叔母も顔色が悪く、疲れているようでした。
叔母は年老いた祖母が寝たきりになっても自宅でずっと看病をしていたのです。
「おふくろさんは私の宝物だから」と本当に大事に大事にしていましたから。

その叔母から聞かされた衝撃的な話。
「姉はね、母親にお灸据えられたのよ」
えっ、お灸っていつよ、何のこと。
叔母は母と二人で病院の霊安室で祖母に最期の化粧を施していた時。
母が口紅を塗りながら、つらつらと悪態をついていたのだそうです。
「まったく私にさ、親らしいこと何にもしてくれなかったじゃないのよ
おかげで苦労したわよ。
なんでもっと色々してくれなかったの」
その瞬間、母が着ていたモヘアのセーターが大きな炎を上げて燃えたそうです。残ったのはわずか数センチ四方の毛糸の切れ端。
母は下に着ていた肌着一枚になって、呆然と立ち尽くすだけでしたが無傷で、髪の毛が少し焦げただけでした。
炎を消そうと必死で母の体を素手ではたいた叔母は、指先が火ぶくれになったと言って包帯を巻いた指を見せてくれました。
このやけどが証拠だと。

何が起きたのかというと、霊安室のろうそくを背にして死化粧を施していた母の背中に火が燃え移ったということらしい。危うく大やけどをするところですが、無傷だったのは本当に奇跡だと思います。
叔母が重ね着していたセーターを脱いで母に着せたそうなので、火だるま事件が起きたとは想像もつきませんでした。

「おふくろさんに怒られた」
母はそう言ったきり口をつぐんで、通夜が終わるとすぐに家に帰ってしまいました。

母にお灸を据えた祖母。
よほど腹に据えかねたのでしょうね。
その夜、叔母と二人で祖母に寄り添って昔の話をたくさん聞きました。

母は子どもの頃「癇の虫」が強く、祖母はかなり手を焼いていたそうです。
民間療法というか迷信に近いと思いますが、癇の虫が治まるようにと赤ガエルの足を焼いて食べさせたのですが効き目はなく、癇癪持ちのまま大人になってしまった。
気に入らないと何でも祖母のせいにして八つ当たりをして、我儘に振る舞っていた。
だから祖母は親としての最後の務めとして、母にお灸を据えたに違いないと。
なるほど妹の立場から見ても、母はそういう人なのか。

優しかったおばあちゃん。
葬儀から一週間もたたないうちに夢枕に立って私に会いに来てくれました。
実際は、というか夢の中では枕元じゃなくて足元に座っていたのですが、夢だとわかっているのに布団の上から妙にリアルな重さを感じていました。
いつもみたいに優しく笑ってシワシワだった肌はしっとりツルツルで、ちょっとなまめかしいほど艶っぽく、明るくぼーっと体全体が輝いて見えていました。
私は何度もおばあちゃん!おばあちゃん!と大声で叫んで、なぜだか涙が溢れて止まらないのだけれど、祖母は黙ってニコニコ笑っているだけでした。
その笑顔はぴかぴかに光っていたから、祖母は幸せに旅だったんだと思いました。
心から会いたいと思う人のところには、来てくれるんですね。

冷蔵庫にあった母からのメッセージカード。
夢の続きはどうなるのか、どんなストーリーになるのかは、無意識の私が決めることなのでしょう。
でも今のところメッセージを読む勇気はありませんので、夢で冷蔵庫が出てきても扉は決して開けないことにします。


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