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がんサバイバーの社会復帰 新たな闘いの始まり

傷痕の癒着は悪の温床

2022年12月6日、私は整体の綾子先生を訪ねました。一年間がんばった分の疲れをほぐしてもらいたかったのです。綾子先生はいつだってやさしく私のくだらない愚痴にも付き合ってくれますが、にっこり笑いながらも〝指導の手〟は決して緩めません。
「先生、最近寝ているときに足がよくつるんです。激痛で足つったままじゃ眠れないし。こっちのね、骨折をしたほうの右足首」

それは2018年1月に東京で大雪が降った日のこと。翌朝の大雪パニックに備えて芝公園のホテルを宿泊予約していました。東京ではめずらしく雪は足首より上まで積もったので、転ばぬようにそろりそろりと歩いていたつもりでしたが、ホテル前に到着した一瞬に気が緩んだのかエントランスの床で足を滑らせてしまったのです。右足首の両側を骨折し、靱帯も根元の骨から折れ、右足首の両脇をチタン製のボルトやワイヤで固定する大手術をしました。その一年後に再び手術でボルト類を抜いて綾子先生のリハビリ指導を受けましたが、なかなか若かりし頃のような柔らかい関節の動きは戻りませんでした。
さらに翌年の2020年に子宮体がんの開腹手術と抗がん剤治療を受けたため、7か月間もほぼ寝たきりで骨折のリハビリどころではありませんでした。

綾子先生は右足首のかなり薄くなってきた傷痕を指でなぞると、いきなり皮膚を親指と人差し指でつまんで引っ張りました。
「痛いっ 痛いって 先生痛いよ!」
思わず子供じみた声を上げても綾子先生は陽気に笑いながら何度もくるぶしの皮をつまんでみせます。
「癒着してる。縫った痕の皮膚が骨にぴったりくっついちゃってますね 張り付いてほら全然動かないでしょ」
たしかに皮膚にたるみというか、遊びの部分がありません。さらにくるぶしの外側を指でシュッとなぞられると激痛が走りました。いたたっ!先生それは何いまのなに?
「リンパですね 詰まってパンパンに張ってます」
皮膚が固くなって癒着している部分はリンパの流れが悪くなっているというのですが肉眼では透視できません。私は子宮体がんの手術でリンパ節郭清をしているのでリンパ浮腫を発症する可能性があります。いまは浮腫というほどの重症ではなくても全身のあちこちがむくんでいます。きっと私のリンパ腺は耕作放棄地の忘れ去られた用水路みたいに腐葉土が堆積しているに違いない。いやいや腐葉土は土に帰って栄養になるけれど、私の体内に淀んでいるのは単なる腐敗物。用水路の腐敗物をきれいに流さなければ耕作放棄地は復活しません。リンパを流して強い弾力のある筋肉を育て直さなければなりません。

癒着は骨折をした右足首だけはありませんでした。子宮体がんで開腹手術をした傷痕周辺も固くなっていました。
「お腹もかちかちに固まってますね。これじゃ内臓も動きがわるくなっちゃう。なんとなく普段から前屈みになってお腹をかばう感じの姿勢になっていませんか」
手術をしたお腹の傷口がぱっくり開くはずなど無いのに、私は無意識に傷痕をかばって腹筋を使う動きを自制していたのです。
「先生いま押してるとこは腸?なんかドクドク動いている感じがするけど」
「これはね、大動脈です。大切な太い血管」
お腹を温めながらゆっくりほぐしてもらうと自分でもはっきり意識できるほど腹筋が柔らかくなり内臓が動き出したのがわかりました。骨折から4年、がん手術からまもなく3年、忘れていた体の動きをようやく思い出してきました。

最終コーナーの高いハードル

リハビリの成果が明確な数字に出るのが通勤で駅まで歩く速度です。
健常時は自宅から最寄り駅まで歩いて20分。それが子宮体がんの手術後、仕事に復帰した当初は1時間かかりました。往路1時間歩き電車に乗って会社までさらに20分歩く。仕事を終えてからの復路はさらに足取りが重く感じられます。どんなに苦しくても歩くことがリハビリなのだと言い聞かせて歩き続けると、駅までの1時間が40分になり、30分までタイムが縮まり、病気になる前の状態に近づいているんだという自信につながりました。しかし目指す健常時のタイム20分までの“あと10分”がなかなか短縮できないのです。このまま100%完全復活は難しいのかなと心のどこか奥底であきらめの気持ちもありました。

ところが、変化は突然現れました。2023年を迎え一番変化を感じたのは排便、つまりうんこです。ほどよい固さでつやのある一本刀のうんこ。2020年の開腹手術以来こんなに健康な検体を確認できたのは初めてです。
開腹手術の傷跡はとっくに完治しているとわかっているのに、今までお腹に力を入れてトイレで踏ん張ることが怖くてできませんでした。おそらく腹筋だけでなく内蔵を支えて動かすインナーマッスルもがちがちに固まって動かなくなっていたからだと思います。年末に整体のドSな綾子先生がほぐしてくださったおかげに違いありません。無理に力まず、自然な力で排便が出来るようになっていました。時を同じくして足取りも軽くなり、歩行速度の〝10分の壁〟を短縮することができました。

実は腹に力が入らない問題は「腸の内壁と便質」も要因の一つだったと私は思っています。抗がん剤治療では、腸の内壁や粘膜もかなりのダメージを受けています。下痢や軟便が続き肛門も弱体化。必然的にお腹に力を入れると液状の汚水漏れが発生する恐れがあるのです。また普通の下痢や食あたりなどとは違う異変、内臓の内壁や粘膜からただれているような感覚がずっと続いていました。この排便問題は何をする時にも心に重くのしかかっていて、リハビリをするにも今ひとつ前向きな気持ちになれなかったのです。
目には見えませんが、腸の内壁など弱っていた粘膜がようやく復活した証しが「2023年一本刀のりっぱなうんこ」なのです。うれしさと誇らしさでしばらく時を忘れで眺めていました。まさに復活を知らせる狼煙でした。

年の瀬から急激に食欲旺盛になったことも体調好転のきっかけになったと思います。 一緒にがん企画を作ったことのあるドキュメンタリー番組のプロデューサーから木更津の新海苔をいただいたのですが、これがおいしくておいしくて、ご飯を食べることが楽しみでたまらなくなったのです。本人にはちょっと言えませんが、復活の一本刀は木更津の新海苔のおかげです。

復帰の一歩は長い闘いの始まり

抗がん剤の副作用で一般的によく知られているのは脱毛だと思います。毛髪は抗がん剤終了後2か月もすれば新芽が生えてきますから、目に見えて一番回復が早いのが毛髪だと思います。むしろ目に見えない副作用の方が深刻で長い期間の治療やリハビリが必要になるのです。薬の種類や個人差による違いもありますが、私の場合は爪がぼろぼろになって割れる、皮膚が弱り化膿しやすくなる、口腔内の粘膜が荒れて口内炎がたくさん出来る。味覚にも影響が出て舌にいつも苦みがある。そんな状態で食を楽しめるはずもなく当然筋力も落ちる。指先の人差し指と中指にはまだ少し痺れが残っていますし、元の健康体を取り戻すのに2年以上かかってもまだリハビリを続けているのです。

がんサバイバーの社会復帰は、最初の一歩を踏み出したら終わりではありません。そこから長い闘いが始まるのです。
私の場合は社会復帰の最初のハードルを越えることは意外と容易でした。
むしろ二番目、三番目のハードルはどんどん高くなって、私は自分で自分を追い込んでいました。
「復帰出来てよかったね、でも無理しないでね」と最初のうちは声をかけられるのはうれしかったのです。しかしすぐに自分の体が予想以上のダメージを受けていることに気づいて「以前のようにはもう仕事が出来ない」と自信を失って行きました。
指先の痺れでパソコンのミスタッチが増える。紙がめくれない。お腹の手術痕が痛くて電話を取ったり何をするにも動きが遅い。
そんな私をみんなイライラしながら見ているに違いないと思い込む。
一日中椅子に座っていると膝が曲がらないほど足が浮腫んでしまう。
帰宅の満員電車では立っていられないほど疲れて、週に5日フルタイム働くと休みの2日間は熱を出して寝込む。そしてまた一週間が始まる。
こんなはずじゃなかった。弱音を吐いたら負け。無理しないでねって言われても迷惑かけるから休めない。
それも今だからこそ素直に言えるのであって、途中で「やっぱり復帰は無理だったかな みんなに迷惑をかけるくらいなら、もうこの辺でいいか」と社会復帰をあきらめかけた事ありました。周囲の目ばかり気にして、自分の立場から仕事の質、働き方を考え直すことに向き合えていませんでした。

これから社会復帰を目指すひとたちへ。
まず最初に、あなたの体と心の状態を相談できる環境が必要です。そしてあなたが信頼できる人と決める復帰のスケジュールは、短期と長期の二段構えで描いて欲しいのです。予定表は、あなたの歩調に合わせ定期的に見直しが必要です。
辛いときは少し休んで、また歩き出せばいいのだから。
あなたの家族や大切な友人が抗がん剤治療を受けていたら、長く苦しい闘いを続けるその人に、ほんの少しでいいから思いを寄せて見守ってあげてください。
私は今年の3月、がんサバイバー3年生になります。

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